「決定」したけど「収容」できない!? メディアバイイングの面白さと難しさ[第1部 - 第7話]
「インターネット広告創世記~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く~」シリーズ第7話。前回の記事はこちらです。 杓谷 ついに日本でもインターネットの商用利用が解禁されましたが、この頃は「富ヶ谷」など、数えるほどしかウェブサイトがありませんでした。インターネット”広告”が登場するにはもう少し時間が必要ですね。 佐藤 デジタルガレージとの出会いをきっかけに、インターネットへの興味はますます強くなっていきました。その一方で、コンペに負けて旭通信社のApple担当チームが解散したことで、僕は1995年から「国際二部」という部署に異動することになります。
Appleのコンペに負けてチームが解散し、国際二部に異動
佐藤:国際二部には、外資系広告代理店の日本国内におけるメディアプランニングと買い付けをサポートする部署がありました。その提携先の1つに、「DDB(DDB Worldwide Communications Group LLC)」という、外資系自動車メーカーを中心に取り扱っている、グローバルでも有名な広告代理店がありました。
当時、旭通信社と提携していた「BBDO」という会社では、国際二部内に営業やメディアプランニングを行うチームがありました。一方で、DDBは「DDB Japan」という日本法人が別に存在し、そこに営業やプランナーがいるという立て付けでした。
佐藤:DDBは、欧米の自動車メーカーを中心にグローバルクライアントをいくつも抱えていましたが、DDB単体では日本国内のテレビ、新聞、ラジオなどのメディアを買い付けるための口座を持てませんでした。広告主からの広告出稿費用等は全てDDBに支払われるのですが、いざ日本で広告を出稿しようとすると、日本の主要メディアと取引できる口座を持つ広告代理店に依頼せざるを得ないわけです。 杓谷:第1話で解説した通り、特にテレビ、ラジオ、新聞、雑誌などのマスメディアの広告枠は、保証会社的な機能を持つ日本の大手総合代理店に取引口座が限定されていました。そのため、外資系の大手広告代理店といえど、日本では取引口座を持つことができなかったわけですね。 佐藤:こうした事情から、DDBは業界用語で「まわし」と呼ばれる、いわゆるバイイングエージェンシー(テレビ等の広告枠の買い付けを行う広告代理店)を決める必要がありました。僕が配属された部署は、まさにこの役割を担っていました。言ってしまえば、DDBから発注を受け、広告枠を買い付けるだけの作業です。広告を掲載するメディア等を計画する「メディアプランニング」は行わないため、コミッション(広告枠の仲介手数料)は広告費のわずか数%と低く、利益率の低い部署と認識されることが一般的でした。 僕が配属された当時、チームはメインの担当者とアシスタントの2名体制で、メインは外資系広告代理店のメディアプランナーを務めた経験がある方でした。やはりそういった経験やスキルがないと、発注元と対等に話ができないわけです。とはいえ、主な仕事はその担当者がほぼ1人で対応しており、常に人手が足りない状態。そこで僕が増員されたわけですが、国内のメディアの買い付けについては全く知識がなく、「すみません、コンピューターなら得意です」といった具合でした。向こうからしたら「使えねえやつが来たな」と思われたと思います(苦笑)。