僕、このまま終わるんじゃないですか――はじめしゃちょーの「ガチ相談」、佐藤二朗の回答は
佐藤:これまでの芸能界は、有名になるためには遠い階段というか、壁のようなものを破っていく過程があったんだけどね。今は極端な話、スマホ一つあれば……。 はじめしゃちょー:可能性ありますね。僕は学生の頃から動画を作り続けて、卒業した頃に、目標だったHIKAKIN(ヒカキン)さんの「HikakinTV」のチャンネル登録者数を超えることができました。 佐藤:すごいね。静岡大学だっけ。それこそ静岡から世界に発信だ。 はじめしゃちょー:確かに、地方にいてもできる。 佐藤:と、いうことだよ。ひと昔前は、お笑いなら大阪、アイドルや俳優なら東京へ出ていかないと勝負にならない時代だった。自由な場所でそれぞれにやりたいことをやるのは素晴らしいことだね、どの世界でも才能がある人には花開いてほしいから。生活や家族のためにって、最後の障壁をこえるまでに夢を諦めてしまった役者を、たくさん知っているんでね。 はじめしゃちょー:いや、もう時代の移り変わりが速いっすよ、ほんとに。 佐藤:時代の移り変わり。それ俺がむしろ言いたいわ。 はじめしゃちょー:最近はTikTokとか短い動画が人気で。 佐藤:10秒とか。 はじめしゃちょー:インスタの短いストーリーとか。もう僕ついていけないですもん。
生まれ育ったのは、愛知県の田舎町。佐藤二朗は、小学生の時に抱いた「俳優になる」という夢を誰にも言い出せないまま、信州大学に進学した。新卒で上京し、リクルートに入社するも夢を諦めきれず、入社式当日に退社。再び上京して劇団員になるが、さっぱり芽は出なかったため、営業として再就職する。ようやく人生落ち着くかと思いきや、劇団を立ち上げ、再びバイト生活に……。テレビや映画への露出が増え、「俳優」の看板を堂々と掲げられるようになったのは、30代半ば以降のことだ。
一方、富山の厳しい家庭で育ったはじめしゃちょー。特に目標もなかったため、父と同じ教員になるべく静岡大学教育学部へ進学した。高校の頃、一時「パン屋さん」になりたいと思ったが、早朝勤務だと知っておじけづき、早々に諦めたという。 佐藤:今は子どもたち憧れの職業、ユーチューバーか。というかパン屋さんは、ちょっといいなって思ったぐらいじゃないの? はじめしゃちょー:そうですね。メロンパンの味が好きだっただけかも。 佐藤:メロンパン。そうやってまた好感度上げようとして。 はじめしゃちょー:佐藤さんは、何を信じて俳優の夢を追い続けたんですか。 佐藤:根拠もなく、自分には芝居の才能があると思った、「僕が俳優にならなくて、誰がなるの?」と。もうばかみたいに信じてたんです。 はじめしゃちょー:僕、28歳なんですけど、20代って、どうでした? 佐藤:「俳優になる」「なれないかもしれない」ってピンポン球みたいに揺れ動いて、精神的に息が詰まるような暗黒時代ですよ。もう二度とごめんだね。だからちゃんと今、自分の足で立ってるあなたはすごいよ。どんな子どもだったの? はじめしゃちょー:父が教員なんですよ。それも教育指導主任。ほんと学校で一番嫌われるタイプです。