結婚式に空爆、花嫁だった娘を失った…内戦逃れジブチへ、イエメン難民の今
なぜ内戦は始まったのか
イエメンでは、2011年中東で広がった民主化運動「アラブの春」により、30年以上続いたサーレへ政権が崩壊、暫定政権へ移行しました。しかし政情は安定せず、シーア派反政府武装組織フーシによるクーデターが発生、暫定政権とフーシ側の内戦へ突入しました。2015年3月には、フーシがシーア派国家イランの支援を受けていると見たサウジアラビアが中東諸国による連合軍を組織して介入、空爆を行うなど内戦は激化し、多大な犠牲や被害が出ています。 国連機関の発表しているデータによると昨年末2017年12月時点で、イエメン人口約2700万人のうち、1割弱のおよそ200万人が国内避難民として、また約28万人が難民として国内外で避難生活を送らざるを得ない状況にさらされ、非常に深刻な人道危機に瀕していると言われています。
マルカジ難民キャンプへ
オボックの港町から西へ4、5キロ離れた土漠にあるマルカジ難民キャンプ(以後、マルカジキャンプ)があります。内戦が激しくなった2015年に建てられ、今も2000人前後が暮らしています。ただ現在は、マルカジキャンプで暮らす人々はかなり少なく、ほぼ7割がジブチに近いイエメン西部地域から逃れてきました。 内戦が長引くにつれ、ジブチに住む親族へ身を寄せたり、お金やつてがあればジブチを離れて他国へ移っていったため、現在マルカジキャンプに残っているのは基本的に貧しく身寄りがない人々です。 ジブチ政府や国連、NGOなどの支援で、キャンプ内には最低限の暮らしを送ることができるよう、給水所やトイレ、モスク、コミュニティーセンターなどが設置されていました。ルーテル世界連盟(LWF)や認定NPO法人アイキャン(ICAN)などによって、子ども達への教育やコミュニティーサービスなどソフト面での支援も行われています。 このように様々な支援が入ってはいますが、住環境は良いとは言えません。難民キャンプ自体が土漠の中にあるため、非常にほこりっぽく、断熱効果の薄いテントやプレハブ暮らしのために、夏場は灼熱、冬は蚊の発生に悩まされるといいます。 毎月一回、米や小麦粉、豆類、塩、食用油など最低限の食糧の支援物資と、1人につき500ジブチフラン(約300円)が支給されるそうですが、当然生活するには十分ではありません。野菜や魚など他の食料や生活必需品を得るために、港町へ出てきて手持ちの物や釣ってきた魚を売ったり、一時的な仕事で日銭を稼ぐ人もいました。生活のため、キャンプとオボックの町を日々行き来する難民が多くいるということです。