結婚式に空爆、花嫁だった娘を失った…内戦逃れジブチへ、イエメン難民の今
1回の漁の利益は1200円
オボックの町からマルカジキャンプへ向かう道すがら1人の少年に会いました。アリーくん(10歳)は、イエメン西部で暮らしていましたが、空爆で危険を感じた両親と7人の兄弟姉妹と共に、2015年にオボックへ逃れて来ました。 彼の日課は毎日キャンプから港町へ、自転車で往復40分かけて買い出しに行くこと。その日はじゃがいもや玉ねぎなどのちょっとした野菜を手に入れて帰るところでした。 イエメンからやってくるのは、身の危険を感じて逃れてくるケースだけではありません。オボックのUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)オフィスで難民申請をするため待っていたイエメン人男性2人は、内戦に伴う物価の高騰から生活が立ち行かなくなり、やって来たそうです。イエメン西岸の港町で漁師として働いていた彼らにとって、漁に使うボートのガソリン代の高騰は死活問題で、イエメンで漁をすることが困難になったというのです。 そのため、オボックに住む友人を頼って、自分のボートで海を渡り、友人宅に身を寄せ、ここで漁をして生計を立てています。 「ここでお金を稼いで来月にはイエメンに戻りたい。」 家族をイエメンに残してきた彼ら。しかし、ジブチも物価が高く、お金を稼ぐことは容易ではありません。 一回の漁に出ておよそ8000ジブチフラン(約5000円)を稼ぐそうですが、そのうち6000ジブチフラン(約3800円)はボートのガソリン代に消えるため、結果的に2000ジブチフラン(約1200円)しか利益はありません。そこから日々の食費などを差し引くと手元に残る収入は多くないのです。人道支援が入ることがままならないイエメン国内の避難民の生活はさらに厳しい状況にあると思われます。
家を壊され、財産を奪いとられて……
マルカジキャンプに来て2年以上経つというアハマドさん(62歳)一家に話を聞きました。2015年9月、妻と7人の子ども達と共に逃れてきたといいます。イエメン西部の町で暮らしていたある日、反政府武装組織フーシが町を襲撃、家を破壊され、子ども2人が殺されました。 所有していた車も強奪され、アハマドさん自身も左腕に大ケガを負いました。治療し、大事には至りませんでしたが、見せてもらった左ひじの辺りには撃ち抜かれたような傷跡が今も生々しく残っていました。子どもと財産を失い、負傷した彼はイエメンを離れることを決断し、避難船に乗り込みオボックへと逃れました。その避難船には300人近くが乗っていたということです。 「身の危険を感じることなく安全に暮らすことができることが一番であり感謝している」と語るアハマドさん一家。しかし、キャンプには食料や衣類など、生活必需品が不足していて、仕事もほとんどありません。ホブズというアラブ地域の焼いた薄いパンとシャーイー(紅茶)だけの食事も多いそうです。 「もし内戦が終わったら、イエメンに帰りたいですか」との問いに、アハマドさんは「家もない、仕事もない、何も残っていない場所に帰って何になる」と憤りを抑えきれない様子でした。難民キャンプの厳しい暮らし、しかし内戦が終わったとしてもイエメンに戻ることにも希望を見出せないのです。