お寺にとって掃除は“修行”のひとつ。さまざまな気づきがあるのです/塩沼亮潤大阿闍梨「くらしの塩かげん」
1300年間にわずか2人しか成し遂げた人がいない荒行「大峯千日回峰行(おおみねせんにちかいほうぎょう)」の満行者、塩沼亮潤(しおぬま・りょうじゅん)大阿闍梨(だいあじゃり)。最難関の命がけの荒行を経験し、修験道を極めた塩沼さんがいま切に感じるのは「日々の“あたりまえ”のことこそ難しい」ということ。 塩沼さんの最新刊『くらしの塩かげん』から、私たちの“あたりまえ”の暮らしにそっと光を灯す小さなヒントをお届けします。
お掃除は、誰のため?
文/塩沼亮潤 慈眼寺では、毎朝8時からみんなでお寺の掃除をしています。お寺にとって掃除とは作務の中のひとつであり、修行の一環でもあります。日々を丁寧に、心を込めて生きる。そんな意識を持っていると、掃除の技術も向上します。 たとえば、ほうきの掃き方、雑巾がけのコツ、食器洗いの手順、草むしりのタイミングなどなど、同じ作業を精一杯しながら意識的に行動すると、様々な智慧を授かることができます。 掃除はただの作業ではありません。一般的には、おもに参拝者をお迎えすることや、仏様に対する敬意から「場を清める」という意味合いのある掃除ですが、実は深いところでの気づきにつながるチャンスがあるのです。
塩沼亮潤(しおぬま・りょうじゅん)
1968(昭和43)年、宮城県⽣まれ。1987年奈良県吉野の金峯山寺で出家得度。1999年「⼤峯千⽇回峰⾏(おおみねせんにちかいほうぎょう)」の満⾏をはじめ、2000年には9⽇間の断⾷・断⽔・不眠・不臥の中、御真⾔を20万遍唱える「四無⾏(しむぎょう)」を、2006年には、100日間の五穀断ち・塩断ちの前⾏の後、8000枚の護摩を焚く「⼋千枚⼤護摩供(はっせんまいだいごまく)」を満⾏。同年故郷の仙台市秋保に福聚山 慈眼寺(ふくじゅさん じげんじ)を建立。「⼼の信仰」を国内外に伝えている。簡単なようで難しい日々の「あたりまえ」の大切さを綴った最新刊『くらしの塩かげん』(世界文化社刊)大好評発売中。