日本経済総予測2025 「日本経済が手本にすべきは日本サッカーの躍進だ」 宮川努・学習院大学経済学部教授インタビュー
高度成長、バブル、そして長期停滞──。日本経済のこれからに向け、過去の歩みから何を学ぶべきか。宮川努・学習院大学教授に聞いた。(聞き手:桐山友一/荒木涼子・編集部) ── 2025年は戦後80年となる。長期停滞が続く現在から振り返れば、壊滅的な敗戦からわずか20年あまりで黒部ダム完成(1963年)、東海道新幹線開通(64年)、名神高速道路全線開通(65年)など現在も基幹のインフラが整備され、68年には国民総生産(GNP)で世界2位となった。何が原動力だったのか。 ■70年代初めまでの高度成長期は、民間投資が非常に活発だったことが挙げられる。日本の生産設備は確かに壊滅的だったが、すべてが失われたわけではなかった。高い識字率に代表される人的資本は残っていたし、航空機や巨大艦船を作る技術力もあった。そうした蓄積が高速鉄道の技術や造船産業などに生かされた。また、米国に追い付こうと新技術を学び、「三種の神器」(洗濯機、白黒テレビ、冷蔵庫)といわれた新製品を生み出していった。 そうした投資を生み出した一因が「ターゲティングポリシー」(政府による特定産業の育成支援)だ。政府は戦後間もなく「傾斜生産方式」として石炭、鉄鋼、海運、電力の設備増強に資源を優先的に振り向けた。そこから供給される鉄鋼やエネルギー、海外資源を基に、設備の拡張競争が起き、一層の資本蓄積を可能にした。また、国内の貯蓄率が高く、投資に振り向けられたことも大きかった。 ── 国民の多くが成長を実感できていた時代といえばいいか。 ■ただ、当時もインフレ率は3%を超えるなど、物価高にあえぎながら将来不安を抱えていた。光化学スモッグなど公害もひどかった。社会には間違いなくひずみがあったが、経済成長というプラスもあった時期だった。高度成長期には年率10%前後の成長を実現したが、日本が米国と安全保障条約によって同盟関係となり、自国の安全保障以外の成長分野に資金を使えたことも大きな要素だった。