日本経済総予測2025 「日本経済が手本にすべきは日本サッカーの躍進だ」 宮川努・学習院大学経済学部教授インタビュー
◇「狂乱物価」と似る今 ── しかし、そうした高度成長も、71年のニクソン・ショック、73年の第1次オイルショックで終焉(しゅうえん)する。 ■ニクソン・ショックにより「1ドル=360円」の固定相場が崩れ、国内が驚天動地となった。仏教がキリスト教に代わるぐらいのショック。企業経営者はそれまで、為替レートを気にせず貿易取引できたのに、そうはいかなくなった。円高に伴う景気後退を避けるため、政府は財政・金融政策両面でお金をばらまいたが、73年には変動相場制へ移行してさらに円高が進行した。 そこに、第1次オイルショックで原油価格が高騰し、狂乱物価が引き起こされた。いわば、薪(たきぎ)をくべていたところにガソリンがまかれたようなものだ。この時、物価が上昇して景気後退する現象が「スタグフレーション」と名付けられた。資源価格が高騰して物価も上昇している状況は現在と同じなのに、現在はいまだに政府が「デフレ脱却」と言い続けているのはおかしい。 ── デフレは「物価の持続的な下落」を意味するが……。 ■教科書的な定義ではそうだが、政府は2000年代初め以降、デフレを「GDPギャップ(経済全体の総需要と供給力の差)がマイナス」も含めた状態として定義し、使い続けている。それを言い出せば、90年代以降の日本は「永遠のデフレ」になってしまう。そうした言葉の定義のゆがみが、インフレ下でも緩和的な財政・金融政策が続く混乱の一因になっているのではないか。 ── 70年代当時の物価はどのように沈静化していったのか。 ■重厚長大産業が設備拡張をやめ、人員も配置転換するなどして民間の供給側が相当な犠牲を払った。それまで10%前後の成長を前提とした設備だったため、4%台の成長に落ちれば設備過剰になる。私の親が働いていた繊維商社もこの時期、銀行管理になったことを覚えている。同時に、合理化・省エネルギー化の投資を進め、自動車、電機といった「軽薄短小」型の機械工業へ産業構造を転換させていった。