日本経済総予測2025 「日本経済が手本にすべきは日本サッカーの躍進だ」 宮川努・学習院大学経済学部教授インタビュー
◇トランプ支持層を生む ── 日本経済はその後、80年代には日米貿易摩擦を経て、バブルへと突き進んでいく。 ■日本の産業は欧米諸国に比べて省エネやハードのICT(情報通信技術)産業へいち早く構造転換し、米国に攻勢をかけていった。その結果、米国の中間層が没落した。来年1月には第2次トランプ米政権が発足するが、その支持層は日本がきっかけを作ったようなものだ。米国に戦争で敗れた日本が、GDP(国内総生産)では米国の6割に迫り、1人当たりGDPでは80年代末には米国を上回った。高揚感で明らかに我を見失っていた。 ── 90年代に入ってバブルが崩壊し、長期停滞が幕を開けた。 ■日本のここまでの成長は、長期・固定的な雇用と協調的な労使関係、護送船団方式の金融という「日本的経営」によってけん引されてきたが、こうした体系はもともとIBMやUSスチールなど米国の製造業が世界トップだった時期に日本が学んだもの。しかし、バブル崩壊による不良債権問題で、まず護送船団方式の金融がダメになった。その後、2000年代に入って非正規雇用が増加し、長期・固定的な雇用も崩壊した。 ── 90年代半ばから00年代初頭は「就職氷河期」と言われ、今なお雇用が不安定な人も少なくない。 ■就職氷河期世代は一部は第2次ベビーブーマー世代とも重なるが、この世代の結婚・出産が想定ほど伸びなかったことで、年金制度など現在の社会保障にも大きな影響を及ぼしている。バブル崩壊後の金融危機では、山一証券や北海道拓殖銀行の破綻(97年)など日本を代表する企業がつぶれて、安定志向だった日本人の価値観に大きなショックを与えた。 ── 不良債権処理が落ち着いたところで、リーマン・ショック(08年)が襲う。 ■00年代に入って中国経済の成長が本格化し、デジタル三種の神器(デジタルカメラ、DVDプレーヤー、薄型テレビ)が売れ始めた。しかし、この時期は韓国のサムスン電子などかつてはいなかったライバルが登場していた。世界をしっかり見ていれば、日本企業はこの時期に生産性を高めたり新規事業を興したりしておくべきだった。輸出に依存した結果、リーマン・ショックで世界貿易が縮小し、日本経済は震源地の米国以上に落ち込んだ。