3200年前のヨーロッパ最古の戦場跡、「外国人戦士」も参戦か すでに大国の戦争だった?
「戦士」階級が存在した可能性も、青銅器時代末期の現在のドイツ
3000年以上前、現在のドイツ北部にあたる場所の渓谷で、ふたつの軍勢が衝突した。知られている限りヨーロッパで最古、かつ当時としては最大規模だったこの戦いに、どのような人々が参加したのかはよくわかっていない。しかし、2024年9月23日付けで学術誌「Antiquity」に発表された論文によると、古代の戦場から発掘された矢の一部は、遠く離れた中央ヨーロッパ南部で製造されたもので、おそらくはその地域の戦士たちが使ったと考えられるという。 ギャラリー:さまざまな矢じりなど、欧州最古の戦場跡と遺物 写真4点 過去に行われてきた研究の中には、戦いにかかわったのは地元住民だけと示唆するものもある。しかし、今回の論文は、一部の戦士は他地域からやってきた人々であり、この地に侵略してきた可能性もあると示唆している。 「もしかすると、どこかの部族の軍指揮官やカリスマ的な指導者が、傭兵を引き連れてやってきたのかもしれません」と、論文の筆頭著者で、ドイツ、ベルリン自由大学の博士課程に在籍する考古学者であるレイフ・インゼルマン氏は言う。「あるいは、すでになんらかの王国が存在したのかもしれませんし、いくつもの部族の連合軍があったのかもしれません」
欧州各地の矢じり4700点と比較
インゼルマン氏らは、ベルリンの北約130キロに位置するトレンゼ川渓谷の遺跡から発掘された青銅製およびフリント(火打石)製の矢じり64点を詳しく調べた。 遺跡一帯は現在、穏やかな川辺の草原となっているが、2011年の研究により、古代の戦場であり、紀元前1250年頃に最大2000人が戦った場所であることがわかっている。 この時代のヨーロッパにおいて、これほどの規模の戦闘があったことを示す痕跡が発見された例はなかった。 考古学者らは、戦闘による死者は750~1000人であったと考えている。数千点の人骨からは、少なくとも150人の遺体が確認された。その大半は20歳から40歳の若い男性だが、女性も2人含まれている。 発掘作業では木製のこん棒や矢じりが出土した一方、剣は見つかっていない。ただし、一部の頭蓋骨には剣が使われたことを示す切り傷が残っている。 矢じりのひとつは、頭蓋骨にめり込んだ状態で発見された。また、少なくとも5頭の馬の骨が存在することから、戦士の中には馬に乗って戦場に駆けつけた者もいた可能性がある。 トレンゼ川渓谷遺跡の調査が始まった当初から、矢じりはここで何が起こったのかを知る大きな手がかりとなってきた。人骨や、槍の穂先、矢じり、青銅のナイフの刃などの古代の武器は、1980年代からこの場所で発見されていた。それでも、初期の研究者たちは古代の戦場であるかどうかに確信が持てなかった。 しかし、金属探知器によって青銅の矢じりが入った箱が見つかったと語るのは、約20年前に同遺跡の発掘調査を行ったドイツ、ゲッティンゲン大学の考古学者で、新たな論文の共著者でもあるトーマス・テアベルガー氏だ。 「それが画期的な発見であることははっきりとわかりました」と氏は言う。「今では、弓矢が戦いにおいて最も重要な武器であったことがわかっています」 最新の研究では、トレンゼ川渓谷遺跡の矢じりと、ヨーロッパ各地の同時代の遺跡から出土した4700点を超える矢じりが比べられた。 トレンゼ川渓谷遺跡の矢じりの大半は、現在のメクレンブルク=フォアポンメルン州に位置する同地域で発見されたほかの矢じりとよく似ている。 しかし、一部の矢じりは、たとえば「ひし形」の底部や返しがあるなど特徴的な形をしており、これらが現在のバイエルン地方やチェコのモラビア地方のような、より南の地域で製造されたことを示唆している。 こうした矢じりは、地元の墓から供物としては見つかっていない。つまり、現地の住民がこの矢じりを交易によって手に入れたのではないことを示していると、インゼルマン氏は言う。矢じりはむしろ、南からやってきた戦士たちが武器として持ち込んだ可能性が高い。