3200年前のヨーロッパ最古の戦場跡、「外国人戦士」も参戦か すでに大国の戦争だった?
「外国人戦士」の参加と「戦士」という階級
初期の研究では、戦士たちがどこから来たのかを特定するにあたって、彼らの骨に含まれる同位体、すなわちその人物がどこに住み、何を食べていたのかを明らかにする化学的特徴を用いていた。 矢じりの調査結果は、トレンゼ川渓谷遺跡から出土した人骨の一部に含まれる同位体が、より南方の出身地と関連していることを示した2016年の研究結果と一致している。 一方、2020年に行われた同位体の研究では、戦いに参加したのは現地の人々だけであることが示唆された。ただし、この研究はサンプルとしてごく少数の人骨しか扱っていないせいで誤解を招いてきた可能性があると、分析を主導したドイツ、マインツ大学の自然人類学者で集団遺伝学者のヨアヒム・バーガー氏は言う。 トレンゼ川渓谷遺跡の川床から出土した青銅器の一部は、同じ時期にドイツ南部とフランス東部で作られていたものと一致しており、それが話をさらに複雑にしている。 今回の研究には参加していないが、研究者らによる細部へのこだわりに感銘を受けたと語るのは、古代の戦争の専門家でアイルランド、ユニバーシティ・カレッジ・ダブリンの考古学者バリー・モロイ氏だ。 「人はもっぱら、遺伝学や同位体といった流行りのアプローチ法を用いて大きな問題に取り組もうとするものです」と氏は言う。「しかし、今回の研究は昔ながらの堅実な考古学的調査であり、非常に説得力があると感じられます」 南方の戦士たちが参加していた証拠が増えていることは、これが有力な地域大国の争いだった可能性を示唆していると、テアベルガー氏は考えている。 氏はまた、こうした大規模な軍隊が彼らの社会組織にどのような影響を及ぼしていたのかにも興味を向けている。ドイツのほかの地域にある埋葬地から得られた証拠は、この時代にはすでに「戦士」が階級として確立されていたことを示唆している。当時数多くつくられた丘上集落は、階層化された社会によって戦争が起こりやすくなっていたことの表れなのかもしれないと、氏は述べている。