「グリコ・森永事件の真犯人は特定されていた」…警察にキツネ目の男と疑われた男が明かす「報道されない真実」
■なぜ宮崎学は疑われたのか 宮崎の実父・寺村清親は三代目会津小鉄会会長・図越利一の兄貴分に当たる。京都の解体土木の世界では顔である。関西でも1、2を争う存在だった。寺村建産を通さないと、仕事にならない。淀には競馬場もある。 スパイ「M」としてマスコミに実名こそ報じられなかったが、宮崎学は「グリコ・森永事件」について清川好男にYouTubeの「iRONNATVChannel」で語っている。 「グリコ・森永事件と僕の関係は一言で言ってしまえば、犯人と顔が似てたということだけなんです。僕がかつて学生運動をやってたわ、実家はヤクザで解体屋をやってるわ、金はそれなりに儲かってた時代があって、派手な生き方もしていたという、警察が抱く犯人像に近い人物のタレコミが飛び込んできたもんだから、彼らが色めき立つのも容易に想像がつく。 でも実際に情報を洗ってみると、僕に前科前歴はないんだけども、どうもコレは学生運動をやってて左翼っぽいぞと。警察はその辺りも疑っていたのかもしれません。でも、僕の見立てでは、グリ森事件にはちょっと反社会的な複数の人間がかかわっている。脅迫電話には子供や女性の声が出てきたりするからね。1人や2人じゃなかったよね。」 ■突然警察がやってきたが… 「グリ森事件では僕も容疑者扱いされました。青梅街道を挟んだところに警視庁中野警察署があったんですけど、当時はその向かい側に僕も住んでいました。 実は事件後、警察が2回ほど自宅を訪ねて来ました。(京都の)実家の方にはすでに行ってたんでしょう。たぶん、中野に住んでいたころには尾行も付いていたんだと思います。そう、警察が自宅にやって来る半年ぐらい前から行動確認をしていたんだと思う。 そして、しばらくして突然ガサ状(捜索令状)を持って自宅に踏み込んできたんです。ところが、ガサをしても事件に関わるモノは何にも出てこなかった。結局、警察も一度のガサであきらめたんでしょう。その後、本件でガサを受けることはありませんでした。」