「ユウキミヨシ」を知りませんか?ロシア人女性が日本で出会った“桜の下の奇跡”
だが、日本の親族との対面を熱望するタチアナさんは、次のメールで自分たち家族の歴史の写真を誠太郎氏に見せてほしいとの希望を言ってきた。自分たちのことをもう少し知れば、気持ちも変わってくるかもしれないと、一縷の望みをかける心情はよくわかった。 写真だけでなく情報は多い方がよいと、「あなたの家族の歴史を詳しく教えてほしい」と私は要望し、たくさんの質問を提出した。 ならばと、その年の夏休み、タチアナさんは「ポーリャ(編集部注/祖母ペラゲイアの愛称)おばあさん」の人生を知るために、次男のリオン君とカンスクへの旅を決行する。 1998年生まれのリオン君は日本のアニメが大好きで、曽祖父が日本人であることに“縁”を感じている若者である。 カンスクに2週間滞在したタチアナさんは、役所などあちこちで三好氏に関する公文書を探索したが、記録はどこにも存在しなかった。カンスクでの三好氏はソ連からも日本からも放置された存在だったということになる。 タチアナさんはカンスク近くに住む伯母マリヤさん(編集部注/ペラゲイアが前夫との間にもうけた娘)に会い、三好氏とペラゲイアに関する記憶を思い出してもらった。そこでのミーチャ(編集部注/三好氏の愛称)は、活き活きとした温かな存在だった。
帰宅後、2時間かけて書いたというタチアナさんの報告のメールをもとに、私はもう一度誠太郎氏に手紙を書いた。 新たな負担をかけるかもしれないことを恐れながら、温かな記憶をロシアの家族に残した三好氏の足跡を慎重に伝えた。リュドミラさんの若いころの写真も同封した。そして、来日を考えているタチアナさんのお墓参りを許してもらえないかと、こうお願いをした。 「苦しい暮らしをしていた祖母のペラゲイアさんとその子どもたちを励まし、あたたかく支えてくれた“おじいさん”に感謝の気持ちを捧げ、お花を手向けることを許していただくことはできませんでしょうか?」 ● 父は何も話さなかったのだから 戦争がもたらしたもう1つの分断 10月末、確認の電話を入れた。 「ソ連時代は労働ばかりと思っていたから、そんな自由な時間があったなんて驚いた。子ども[リュドミラ]を育ててもらってありがたいと思ってます。でもお墓参りは遠慮してほしい、母親も入っているからまずい。 父親は何もしゃべらないで死んでいった。だからロシアの家族のことを知りたいとは思わない。こちらの写真を送る気はないし、向こうの写真ももらう気はないです。父親は何もしゃべらなかったんだからね」