「ユウキミヨシ」を知りませんか?ロシア人女性が日本で出会った“桜の下の奇跡”
あてずっぽうに車が止まった地点の小路に入り、墓石に刻まれた文字を確認しながら歩き始めて数十秒。「結城家之墓」の文字が目に飛び込んできた。これか。法名碑には、はっきり三好とある。小路に入ってわずか10基目。「やっぱり見つけてもらいたかったんだ!」と斎藤弘美さんが声を上げた。 法名碑をよく確認すると、潔(編集部注/三好氏の次男・仮名)、三好、邦子(編集部注/三好氏の妻・仮名)の3人の名前が刻まれていた。生後まもなく亡くなった「潔」には「徳潔孩児」とあった。 何という偶然の働きだろう。最初の小路で車が止まってくれたのが最大の幸運で、もう少し進むと正門があったのだが、ここから入ると見つけることは難しかったかもしれない。 手を合わせた後、ここから結城誠太郎氏の住まいまではそう遠くないことに気が付く。墓がすぐに見つかったことに推されて、私たちは結城家に向かった。 これから伺いたいと、ことわりの電話をしようにも、携帯に電話番号は登録されておらず、それを記したメモも持参していなかった。もし、電話をしていたら断られていただろう。
● アポイントなしで長男宅を訪問 仏間に2つ並んだ笑顔の遺影 築50年ほどの2階建ての家の出入り口は、引き戸であった。奥のガレージ前には古いトラックが止まっていて、渦巻き状になっている銅線らしきものが置かれていた。応答機能のないブザーを押すと、ガタガタと戸を開けて、足音が近づいてくる。 「突然で申し訳ありません。何度か手紙を出したものですが、どうしてもお話ししたいことがあり、見せたいものがあるので伺いました」 一気呵成に話すと、引き戸が開き、三好氏に似た感じの小柄な老人が現れた。「ああ、あの手紙の……」と、拒絶的ではなく、驚いた風もない。こちらが突然の来訪の意図を話し続けると、神妙な感じで聞いてくれて「じゃあ、入ってみますか」と言ってくれるではないか。まさか家に入れてもらえるとは。 誠太郎氏はソファに座り、表情はほとんど変わらず、相槌を打つこともなく、かといって敵対的でもなく、ただじっとこちらの言うことを聞いていた。リュドミラさんの赤ん坊の頃から今に至るまでの写真を並べたが、感想は何も語らない。