「ユウキミヨシ」を知りませんか?ロシア人女性が日本で出会った“桜の下の奇跡”
拒絶の壁は前より厚いと感じざるを得なかった。誠太郎氏の拒絶は、親子の枠を取っ払って、戦争が引き起こした分断をそのまま突きつけていた。 タチアナさんからの返答。 「彼のお気持ちはよく理解できます。ご子息もすでにお年を召されており、今更家族の中で、あるいは人生で何らかの変化が起こることは受け入れがたいことであろうと存じます。 人生は単純なものではありません。戦時であればなおさらのことです。私たち家族も、母も、彼の希望を尊重したいと思います。彼にこれ以上のご迷惑をかけるつもりはありません。間もなくクリスマスの祝日が始まります」 クリスマスの後、タチアナさんと初めてスカイプで話を交わした。リビングにはソ連時代の三好氏の写真が飾られている。通訳を介し、いろいろ語った後「こんなことになるなら調べるのをやめればよかったね」と夫から言われたと、寂しそうに笑った。 これで調査は打ち切るしかないと、私は誠太郎氏に平穏な後半生の日々に混乱と負担をかけたことへのお詫びと、心の片隅にでもペラゲイアの家族がいることを留めておいてほしいという手紙を出した。
● 満開の桜の下で起きた奇跡 私たちが捜しに来るのを待っていた 2019年3月、タチアナさんから日本語教室に通い始めたという報告のメールと、リュドミラさんを含めた家族全員(犬も一緒)の写真が送られてきた。 日本の親族に会えないならせめてお墓参りだけでも、との気持ちは続いていた。それでは、結城三好氏の墓を捜してみようと提案してくれたのは、最初から協力し続けてくれた日本サハリン協会(編集部注/樺太およびソ連各地に残留を余儀なくされた邦人を支援するNPO団体)会長の斎藤弘美さんである。斎藤さんは民俗学の研究者でもあり、墓捜しに関しては経験と勘をもっている。 とにかくやってみようと、4月後半、私たちはZ県に向かった。見つからなかったら、それは三好氏が私たちにもタチアナさんにも会いたくないということだ。死者は近づこうとする生者に何らかのメッセージを送る存在である。 駅の観光案内所で尋ねると、町には2ヵ所の墓地があり、町民用の共同墓地が多くを受け入れているという。その共同墓地に向かった。満開の桜と広がる青空の素晴らしい日である。 共同墓地は、国道わきのだだっぴろい敷地にびっしりと墓石が並ぶ殺風景な光景である。数百基はあるような数の多さに一瞬めまいが起きた。果たして見つけられるのか?ここで見つからなければ、夕方までかけてももう1ヵ所の墓地にいくつもりであった。