謎のトンネル群の先にあったものとは? 狭山丘陵の知られざる歴史と自然を訪ねるハイキング
この日は雨後だったため、強烈なぬかるみと格闘すること約5分強、目を奥にやると、うっそうとした緑の中に、金網で封鎖された隧道があった。「5号隧道」といわれているらしい。地形図を見るとこの道はここまでとなり、まさにデッドエンドである。いったん先ほどの番太池まで戻ることにする。
隔絶感漂う中藤公園
番太池まで戻り、周辺探索を開始する。池の脇を北に延びる道をたどるが、あたりは里山らしい落ち着いた雰囲気である。歩きやすいトレイルの先には大多羅法師(だいだらぼっち)の井戸があったが、草が繁茂しておりなにも見えず。 近くにあった周辺地図によると、一帯は都立中藤(なかとう)公園となっているようだが、いわゆる遊具があるような公園ではない。里山そのもの、といってもいいワイルドな雰囲気である。
北に向かい心地よいトレイルを緩やかに進んでいくと、森の中に突如としてかぶと橋が現われた。やけにリアルで大きなカブトムシオブジェが、神社の狛犬のように向かい合って設置されている。ここは異界との境界か。 かぶと橋の先は、多摩湖自転車歩行者道。ここから先は狭山湖や多摩湖の方につながっている。再び来た道を戻り、モミジ広場を経由して横田トンネルの前に戻った。 中藤公園は現在、部分開園の状態らしいが、今回訪ねたエリアはほどよく整備が行き届いて自然林の中に心地よいトレイルが延びている。おそらく地元の方々のよい散歩道になっていることだろう。一方、分岐が多く、狭い範囲に道が錯綜しているので、初めて訪れる場合は道迷いに注意が必要かもしれない。ただそれだけに、都市部にありながら、なにか隔絶感のある不思議なエリアであった。
(仮称)羽村・山口軽便鉄道軌道跡
横田トンネルの入り口に戻った後、せっかくなので地図上で見た直線に延びる「野山北公園自転車道」をたどってみた。自転車道とされているものの、地元の方々の散歩やウォーキング、ランニングでも親しまれている。 道脇の案内板によれば、この自転車道は軌道跡だったということが書かれている。ただ地形図でも表示されているように、この下には水道管が通っているわけだが、これらの関連についてイマイチよく分からない点もあった。後日、一般社団法人武蔵村山観光まちづくり協会にたずねたところ、詳しく教えていただき概要が把握できた。 1924(大正13)年、村山貯水池(多摩湖)が竣工。羽村取水堰から村山貯水池の間に導水管が通され、多摩川の水が引かれた。その後、さらなる飲料水確保のために山口貯水池(狭山湖)が建設開始されることとなる。その工事資材や砂利運搬のため、すでに設置されていた導水管上の用地を利用して、1929(昭和4)年に「(仮称)羽村・山口軽便(けいべん)鉄道」が敷設されたそうだ。狭山丘陵に掘られたトンネルは、軽便鉄道を通すために掘削されたものなのだ。(仮称)なのは、公表されている正式名称がとくにないからだとか。 山口貯水池の竣工にともない軽便鉄道は利用されなくなったが、戦時中に貯水池堤防をかさ上げするために、一時的に軽便鉄道が再利用されたこともあったそうだ。自転車道を西進した所の残堀川(ざんぼりがわ)の手前あたりには、残堀砕石場跡地がある。軽便鉄道が運んだ砂利がここでふるい分けされたり、砕かれていたという。 さらに西は馬頭観音の石碑があるくらいで、直線道路の西端は工場の敷地で行き止まりとなった。周辺にはほかにもまだ知られざる歴史が秘められている気もするが、今回訪れた場所は充分興味深い場所であった。 記事協力: 一般社団法人武蔵村山観光まちづくり協会 https://m-murayama-kanko.or.jp/
コースの紹介
コースタイム:約2時間5分 行程:横田トンネル・・・5号隧道・・・かぶと橋・・・モミジ台・・・横田トンネル・・・残堀砕石場跡地・・・横田トンネル 総歩行距離:約6,700m アドバイス:トンネル通行可能時間は夏期間(4月~9月)は7時~18時、冬期間(10月~3月)は7時~17時
写真・文=山と溪谷オンライン