月の名所としても知られる風光明媚な桂浜。空海、坂本龍馬、紀貫之のゆかりの地でもある高知県の灯台へ
偉人が見守る豊饒の海
文藝春秋の担当者さんから、「澤田さん、灯台に関心はおありですか?」と聞かれた時、真っ先に思い浮かべたのはサザエさん一家の、そして二千数百年前の船乗りたちを導いた灯台の灯りだった。思えば灯台には強い憧れを抱いている癖に、わたし自身はほとんどそれに接したことがない。彼らが見たであろう灯台の輝きに、少しでも触れてみたい。気が付いた時には、後先考えぬまま、「はい!」と元気よく返事をしていた。 というわけでわたしがうかがうことになったのは、高知県。広い太平洋に面し、まっすぐ行けばアメリカ大陸。古くより捕鯨やマグロ漁、はたまた宝石サンゴの採取など、海の恵みを豊かに受け続けてきた土地である。 ただわたしが高知県に行くと決まった理由は、それだけではない。実はこの地は弘法大師の別号を持つ平安時代の僧・空海とゆかりが深いのだ。 空海はもともと讃岐国(現在の香川県)出身、早くに都に上り、役人となるべく十年間も学問を積んだが、ある日、突然すべてを擲って出奔する。後に空海自身が記した『三教指帰』という書物によれば、そのきっかけは彼が一人の僧侶から、知恵を司る虚空蔵菩薩の求聞持法を授けられたこと。以来、空海はあちらこちらで修行を重ね、「阿国(阿波国・現在の徳島県)大滝岳にのぼり、土州(土佐国・現在の高知県)室戸崎に勤念す。谷、響きを惜しまず、明星、来影す」という経験をした。明星とは虚空蔵菩薩の化身と見なされ、高知県室戸岬は空海大悟の場の一つとされている。 つまり洋の東西を問わず古代史を愛するわたしにとって、高知県はいささか散漫すぎる好奇心を幅広く満たしてくれる場所。そして人を導くはるかなる星という一点において、灯台と空海の経験には共通項がある。
坂本龍馬像にご挨拶
そんなわけでわたしは早速、高知に旅立ったが、なにせこの夏は大変な猛暑。編集者T氏・カメラマンH氏と落ち合った初日は、雲一つない晴天だった。お盆を過ぎたにもかかわらず、予想最高気温は、三十八度。わたしが暮らす京都ではもはや珍しくなくなった温度だが、海に面した高知県では稀な高温という。 これまで数々の「海と灯台プロジェクト」に同行くださっているベテランH氏の運転でまず目指したのは、高知県屈指の観光スポット・桂浜のすぐそばに建つ高知灯台。灯台に向かう前に、「NPO法人 土佐観光ガイドボランティア協会」ガイドの長尾留美子さんと合流し、桂浜を訪ねる上では通り過ぎるわけにはいかない坂本龍馬像にご挨拶にうかがった。 これまで写真や動画などで幾度も目にしていた像であるが、近くに寄ればとにかく大きい。それもそのはず、高知県の青年有志の呼びかけをきっかけに、昭和三年に建てられたこの像は、高さ五メートル余り。台座の高さも含めれば、十三メートルを超える巨像なのだ。 像に別れを告げて浜に降りれば、太平洋に面しているため、桂浜に打ち寄せる波は思いがけず荒い。一方で燦々と降り注ぐ日差しは、残暑らしからぬ強烈さで、歩くだけで額に汗がにじむ。ただただ澄んだ陽射しと、それをぎらぎらと反射する海。まるで巨大な光の中を歩んでいるような錯覚すら、わたしは覚えた。 桂浜はもともと「勝浦浜」と呼ばれていたのが、月の名所として名高かったことから、月に生えるとされる桂の木にちなみ、現在の名になった。一帯には大町桂月を始めとする文人たちの歌碑が複数建てられている。そもそも高知出身である大町桂月の筆名はこの桂浜にちなんだもので、今も昔も多くの人々にこの地が愛されていることが偲ばれる。 地図で見てみれば、桂浜は浦戸湾という湾の出入り口に突き出た岬近くに位置している。太平洋に面していることから潮の流れが速く、高波も多い。現在、桂浜の奥にある高知港は古くは浦戸港と呼ばれ、奈良・平安時代の昔からすでに土佐国の海の玄関口であった。