「トルコ」と同じ「4枚のプレートがせめぎあう場所」に位置する「日本」…その上にそびえる「富士山」噴火の危険性は?
富士山は「4階建て」だった
小御岳火山は富士山の基盤をつくっていた火山だったのだ。ここに、富士山は「小御岳火山」「古富士火山」「新富士火山」の三重構造をもっていることがわかった。ところが、近年の東京大学地震研究所の調査で、さらなる事実が判明したのである。 この坑井調査で、地下300メートルより深いところから角閃石を含む安山岩が出た。角閃石とは、火山岩に含まれる鉱物の一種で、地下のマグマが冷えた際にできたものである。数ミリメートルの大きさの結晶で、日本産の安山岩にはごく普通に見られる。拳ほどの大きさの安山岩を野外で太陽の光を当てながら観察すると、ピカピカ黒く光る角閃石が容易に判別できる。劈開面と呼ばれる結晶の割れた面に艶があって光るのだ。 しかし、富士山から噴出した火山岩の中で、角閃石が産出されるのは初めてのことだった。そして、小御岳火山の下から得られた岩石が角閃石を含んでいることから、そこに小御岳火山とはまったく異なる山体が存在していることがわかったのである。 この結果、富士山には新富士火山、古富士火山という玄武岩質の火山体の前に、安山岩質の小御岳火山があり、さらにその前に、別の火山体があったことがわかったのである。おそらく、鉱物を変化させながら、多様な噴火を起こしたのだろう。 角閃石を含む火山体は、東京大学地震研究所の研究者らによって「先小御岳火山」と名づけられた。こうして富士山は下から、先小御岳火山、小御岳火山、古富士火山、新富士火山という「4階建て」の構造をもつことが明らかとなったのである。
富士山の基盤をつくった火山活動
ここで富士山の生い立ちを、時間を追って少し整理してみよう。 先小御岳火山の活動(数十万年前~十万年前) 最初に、先小御岳火山が数十万年前に活動を始めた。この火山は現在の富士山を構成する玄武岩だけではなく、安山岩やデイサイトも多く含む火山体であった。富士山の周辺にある愛鷹火山や箱根山のような火山だったのではないかと考えられている。 その後、小御岳火山が先小御岳火山の上に形成された。これは10万年前くらいまで活動を続けていた火山であり、先小御岳火山と異なり安山岩と玄武岩の溶岩を噴出している。先小御岳火山と小御岳火山は、いずれも現在の富士山の基盤をつくった火山である。 古富士火山の活動(10万年前~1万年前) このあとからいよいよ富士山の本体をつくった活発な活動が始まる。まず、10万年前から1万年前までの古富士火山の活動である。 最初に小御岳火山の南斜面で大規模な噴火が始まり、1万年前まで大量のスコリア(黒い軽石)や火山灰を降り積もらせた。それ以前の活動が、溶岩を流し出すなどの比較的おだやかな活動であったのに対して、古富士火山の噴火は基本的には非常に爆発的なものであったようだ。 実は、富士山で最初に巨大な成層火山をつくったのが、古富士火山の時代である。古富士火山が爆発的な噴火をしたことは、この時期に膨大な量のスコリアと火山灰を関東一円に降り積もらせた事実からわかる。そのことは、残された堆積物の詳細な地質調査からわかっている。 スコリアと火山灰は、火山学では「テフラ」(tephra)と呼ばれている。もともとギリシャ語を語源にもつ言葉で、「灰」といった意味である。空から降ってくるので「降下テフラ」という用語もよく用いられる。 古富士火山から噴出したテフラは、南関東の広い範囲に厚く積もった。大量のスコリアと火山灰が、偏西風によって富士山の東へ飛来したのである。これらのテフラは、場所によっては10メートル以上も堆積し、新たに地層を形成した。関東平野を広く覆う関東ローム層と呼ばれる軟らかい地層である。 関東ローム層は富士山だけでなく、神奈川県の箱根火山などから噴出したテフラからもつくられているが、関東地方南部に広く分布する立川ローム層には、富士山から飛んできたテフラが数多く含まれている。いわゆる赤土と呼ばれる褐色の土壌であり、地表近くを覆う真っ黒な土のすぐ下に見ることができる。古富士火山からは、1万1000年前くらいまで、大量のテフラが広い範囲へまき散らされていたのである。 新富士火山の活動(およそ1万1000年前以降) 次に、新富士火山について見てみよう。新富士火山の活動は1万1000年ほど前から始まったのだが、古富士火山とはかなり活動の様子が変わっている。 一言で述べれば、さまざまな噴火様式が開始されたのである。降下テフラだけでなく、溶岩も大量に流し、さらに噴石や軽石も飛ばした。 また、マグマを噴出した場所が一定ではない。これは山頂の火口だけでなく、山麓にある側火口も頻繁に使われるようになったということである。さらには、古富士火山の時代にも複数回あった、山の側面を崩す山体崩壊までも起こしている。