最果タヒさんが語る「『詩』のイメージを変えたい理由」「何度も読み返したい漫画」
今回のゲストは、詩人の最果タヒさんです。最果さんは、10代からインターネットで詩を書き始め、20歳の時に現代詩手帖賞を受賞。『死んでしまう系のぼくらに』『夜空はいつでも最高密度の青色だ』(ともにリトルモア)などの詩集をはじめ、エッセイ、小説など20冊以上の本を出版してきました。さらには詩を使った美術館での企画展、ホテルとのコラボレーション、詩のプラネタリウム制作など、詩の魅力を新たなアプローチで発信しています。 前半では、最果さんが詩を書くようになったきっかけと言葉を前向きに捉えられるようになった音楽との出会い、著書出版や自作の詩のグッズ化に伴いデザインに込めた思いを聞きます。また、2024年2月に出版したエッセイ『無人島には水と漫画とアイスクリーム』(リトルモア)について、漫画の原体験や漫画への思いを掘り下げます。(この記事は全2回の第1回目です)
幼少期の夢は「自分で何かを生み出す人」になること
最果さんの幼少期の夢は「何かを作る人になりたい」でした。小説家、漫画家、デザイナー、映画監督。時々によって変わるものの、自分で何かを生み出す人になることを夢見ていました。 「5、6歳で好きだったのは、自分で絵本を作ること。絵を描いて、文章を書いて、テープで本の形にまとめることをよくやっていました。あとは、歌いながら歌詞を書くことや、漫画を描くことも。作るのは一人でできるし、何かコツコツ作るのが性にあっていたように感じて。だから作る人になりたいと思っていたんだと思います」
詩を発信するようになったのは10代の頃。言葉=相手を気遣うもの、空気を読むものというイメージがあり、人と話すのが苦手だったそう。そんな中、ブログやインターネットでみんなが自由に気持ちを書いていること、書きたいことを気ままに書いている様子を見て、「自分もやりたい」と始めるように。 「思いつくままに書いていたら“詩みたいだね”と言われて。それを機に詩を投稿するサイトに投稿するようになりました。そこで、現代詩というものがあることを教えてもらいました。現代詩ってなんだろう?と思って、本屋さんに行き、吉増剛造さん、伊藤比呂美さん、田村隆一さんの詩を読んでみて、そこで”詩がなんなのかはよくわからないけど、でもすごくかっこいい!”と思って、それから現代詩を好きになりました」