サウジアラビア人は、こう死ぬ…末期がんの患者に医師が伝える「最期の言葉」
だれしも死ぬときはあまり苦しまず、人生に満足を感じながら、安らかな心持ちで最期を迎えたいと思っているのではないでしょうか。 【写真】「うつによる仮性認知症」と「本来の認知症」の見分け方 私は医師として、多くの患者さんの最期に接する中で、人工呼吸器や透析器で無理やり生かされ、チューブだらけになって、あちこちから出血しながら、悲惨な最期を迎えた人を、少なからず見ました。 望ましい最期を迎える人と、好ましくない亡くなり方をする人のちがいは、どこにあるのでしょう。 *本記事は、久坂部羊『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです。
人生における偶然
長い人生のうちには、その後の生き方に大きな影響を与える偶然に出会うことがあるようです。私が海外に行くきっかけとなったのも、まさしくその偶然でした。 当時、私は三十代のはじめで、神戸の病院でがんの終末期医療に取り組んで、悪戦苦闘していました。 終末期医療に興味を持ったのは、若い外科医たちが助かる患者さんにばかり意識を向け、がんが再発した人や転移のある人、すなわち完治の見込みのない患者さんの治療に、熱心に取り組まないことへの反発からでした。 医者は患者さんの命を救ってナンボという側面がありますから、同僚や先輩たちが、助かる見込みのある患者さんにばかり熱意を傾ける気持ちはわかります。しかし、治らないと決まった患者さんにも、医療は必要なはずです。私はそういう患者さんにこそ向き合う必要性を感じて、終末期医療を学ぶ気持ちになったのです。 しかし、当時はターミナルケアという言葉も一般的ではなく、論文もほとんどなく、教科書や参考書もありませんでした。唯一、「日本死の臨床研究会」という組織があって、私はそこに入会し、シンポジウムなどを聴きに行きました。 終末期医療の目的は、ひとつには患者さんに死を受け入れてもらって、残りの時間をその人らしくすごしてもらうことにあります。しかし、患者さんは当然のことながら、病気を治してほしいと望んでいます。がんの告知もしていない時代ですから、死の受容はむずかしく、私は徐々に容態が悪化する患者さんに向き合いながら、苦しい日々を送っていました。 終末期の患者さんを受け持つと、いつ急変してポケットベルが鳴るかもしれず(スマホなどはない時代でした)、夜でも休日でも、家族とすごしていても、心の休まるときがありませんでした。無念の思いで亡くなっていく患者さんを看取りながら、私は自分の無力と、終末期医療の困難さに、ほとんどノイローゼになりかけていました。 そんなとき、医局のソファに座り、横に積んであった『日本医事新報』という雑誌のバックナンバーを何気なく手に取ると、たまたま開いたページに外務省が医務官を募集しているという記事が出ていたのです。ふだん、医師向けの雑誌などめったに読まないのに、なぜ手に取ったのかはわかりません。 以前から海外の生活に憧れる気持ちはありましたが、大学で博士課程も終えていない私には、医局からの留学など端から可能性がありません。海外生活など夢物語とあきらめかけていたときに、この記事を見つけたのです。三十三歳になる少し前のことでした。