念のために受けた検診で「乳がん」が発覚。「両胸切除」することになった私は【専門医の解説付】
鹿児島県で暮らす田中景子さん(仮名・50歳)は、2021年12月、乳がんだと診断されました。家庭の事情があって、日頃から健康には気をつけ、腹部のがん検診や乳がん検診をまめに受けていたそうです。そんな中、いつも通り受けた検診で「えーっ!」と驚くような結果が…。そこから田中さんの戦いが始まりました。
「半年前までは何ともなかったのに」乳がん告知
田中さん(仮名・50歳)は、2021年12月、乳がんだと診断されました。「6月に検診を受けた時は何もなかったのですが、親の介護の都合で、11月末に前倒しして検診を受けました。 マンモグラフィとエコーをしたのですが、左胸に鮮明に小さなしこりが写っていました。針生検をしてステージⅠだと告知されました。左だけで済むと思っていたら、PET CTで右側にもしこりが見つかり、同時両側乳がんだと診断されました」 田中さんは、乳がんと告知されても動揺しなかったと言います。 「淡々と受け入れました。自分のことより両親のことが心配でした。2020年の年末、父が庭仕事の最中に脚立から落ちて寝たきりになったんです。母も介護ができる年齢ではありませんし、頼れるのは私だけ。日頃から自分の健康には気をつけなければならないと思っていました。」 意識して健康を保たなければならないと、以前から半年~1年に一度は乳がんや腹部のがん検診を受けていたという田中さん。 「告知された時は、自分まで病気になってしまって、『えー・・・』という感じでした。でも、メソメソする暇などありません。ステージIだったし、早期癌で済みました。進行していなくて良かったと安堵しました」
「なるはやでお願いします」と先生に言った理由は
田中さんは、一人で告知を受けました。冷静だった田中さんは、告知された時、「先生、なるはやでお願いします。両親をみないといけないので」と言ったそうです。 「先生には以前から乳腺症の治療を受けていたので、父のことも相談していました。『親、どうしよう・・・』と言うと、『大丈夫だよ、元気になるよ。全摘しましょう』、と提案をしてくれました。乳房を残すとか部分的に何か工夫してやっていくというのは性に合いません。迷うことなく両胸全摘することにしました」 田中さんが少し困ったのは、夫に「右側も乳がんだった」と告げることでした。 「左側のことは、『乳がんだったみたいで手術を受けることになった。いろいろ負担をかけてごめんね』と、自分で言いました。でも、右側もとなると、『夫にどう説明しよう、どうしよう』と、頭の中は堂々巡り。でも、それも先生に相談したら、『大丈夫、僕が説明するからご主人連れてきて』と言ってくれました。夫に話してくれる時も、高圧的でもなく引くでもなく、雰囲気の持っていき方も上手で、夫も納得していました」 田中さんは、「(乳房を)すっぽり取ってほしい」と思いましたが、乳がん専門の看護師は、「田中さんの気持ちはどうですか。少しでも残したい気持ちがあれば、先生は残すと思う」、と声をかけてくれました。 「診察の後に、必ず看護師さんとコミュニケーションする時間がありました。『全摘と言われたけど、自分の気持ちを言っていいのよ』、とも言ってくれました。看護師さんは、他にもいろいろアドバイスしてくれました。何かを押し付けるような治療は一切なかったです」 田中さんの気持ちが揺らぐことはなく、両側全摘しよう、後のことは切ってから考えようと思ったそうです。乳房再建のことも後で考えようと思っていたのですが、主治医が「今の再建技術は非常に発展しているので、悪い部分を取ってしまえば、田中さんの思うように治療を進められる」と言ってくれたそうです。 12月27日、田中さんは左右の乳房を全摘しました。 「同じ日に左右両方とも切除したのですが、スピード感がすごかったです。子どもがいないので、家に帰っても不自由なだけだから、先生の勧めもあって術後の治療のために1ヵ月くらい入院しました。退院する時は、やっと家に帰れると思って喜んで退院したのですが、翌日から不安でいっぱいに。退院後、1年くらい辛い時期が続きました。今後どうなるんだろうとか、考えても仕方ないことを考えました。先生も話を聞いてくれましたし、病院に電話すると専門の看護師さんが話を聞いてくれるホットラインのようなものがあったので助かりました。」