【あの人の東京1年目】研ナオコが原宿で過ごした10代
「MILK」のベンチに座ることを認められた女の子
1970年代の原宿って、今では信じられないくらいおしゃれな街でした。トップモデルやデザイナー、画家のようなおしゃれな人しか歩いていなくて、人通りも今よりずっと少なかったんです。 静かでおしゃれで家賃が安い街に住みたくて、売れる前の10代後半頃は原宿のキディランドの裏にあった風呂なしアパートに住んでいました。日課は家の側にあった銭湯で朝一番に近所のおばあちゃんたちと一緒にお風呂に入ること。 銭湯を出たら「原宿セントラルアパート(現 東急プラザ 表参道原宿)」の1階にあった「レオン」という喫茶店に毎日のようにお茶をしに行きました。大きなお店ではないんだけど、空気感がすごく良くて、モーニングを頼むとぶ厚いトーストにバターとジャムとコーヒーがつくの。それでお腹がいっぱいになるから、毎日それを頼んでいました。お茶をしていたら舘ひろしが来て「コーヒー奢ってよ」って言うのでご馳走してあげたりね。でも私だって売れる前は全然お金がなかったので、家での食事は袋に入った即席麺を半分にしてふやかして食べたりと節約して、残ったお金で喫茶店に通うのが楽しみ。即席麺はお給料日に段ボールで買うんです。 レオンでお茶した後暇になると、レオンと同じセントラルアパートの1階にあった「ミルク(MILK)」の前のベンチにひとりで座って街ゆくおしゃれな人たちを眺めていました。画家の岩田専太郎さんと出会ったのもそこ。 ある日いつものようにベンチに行ったら先客がいて、「今日は座れないんだな」と引き返そうとしたら、ミルクの店員さんが「そのベンチには座らないで!」とその人を怒っていたんです。私はそれまでそのベンチに座っても怒られたことがなかったから、恐る恐る許可を取ったら「あなたはいいのよ」って。嬉しかったです。その後すぐに社長にバレて、「タダで顔を見せるな」って怒られたけど。
「自分でやれ、自分で決めろ」
レオンでは、自然とその場に集っていた人と仲良くなれました。でもいざ「友達」を作るとなると下手で、今も数えるほどしかいません。無理に作った友達は嫌な面が見えた時に友達になったことを後悔するでしょ。自分のペースでやりたいことをひたむきにやっていたら、そのうち気の合う人が勝手に集まってきます。最近、Mrs. GREEN APPLEの大森元貴くんに「ぼくたち友達じゃないですか!」って言われましたが、元貴くんともそうやって仲良くなりました。彼も友達を作るのは得意じゃないと思うし、外交的というよりは自分の世界の中で音楽に打ち込む忙しい人だけれど、頭が良くて優しい人だと話をすればすぐわかります。結局最後は性格や人柄が1番人を動かすのかな。 友達に限らず仕事関係の人でも、世の中色々な人がいるから嫌な思いをすることもあるかも知れませんが、気にせず常に目標を高く持って夢を追いかけたらいいんです。裏切られることがあっても、いい勉強になったと思って前向きに努力を続ければ、きっといい人が集まってきます。周りに心配をかけないようにしようと思っても周りは勝手に心配するものだから、自分は自分の人生を楽しめばいいの。 私も田邊社長から、ヘアメイクも衣装もどんな風に歌いたいのかも全部「自分でやれ(決めろ)」と言われていたので、好きなことだけを続けてきました。レコード会社の人から、気に食わない指示を出されても「じゃあお前が歌ってみろ!」って(笑)。私が動くのは今も昔も田邊さんに言われた時だけ。田邊さんは自分と感覚が近くて共感できる部分もありながら、新しくて新鮮なものを教えてくれる、尊敬できる存在。着ている服も、考え方も、生き方全てのセンスが良くて、5年、10年先のことを考え、時代を読んで行動できる人です。「センスが良い」となるには、様々な条件が必要だと思いますが、挙げるなら、自分のことをよくわかっていて、人をよく見ていて、自分を貫き通すこと、誰より先に海外のものや流行りそうなものをインプットしていることだなと感じます。常にいろいろな事にアンテナを張り巡らせている人だから、ミルクの前でぼーっとしてるのもバレちゃうんだよね。そんな人に育ててもらえて、私、運がいいんです。 自分のペースで好きなようにやってきたので、周りの同世代たちがどんなに人気になっても嫉妬したことはありません。逆にトップを一度取っちゃうと、ちょっと人気が落ちただけで「売れなくなったね」って言われるでしょ。2番手3番手くらいをうろちょろしている人の方が息が長いと思っているから、私がトップを取る時は死ぬ時(笑)。何をやるにも、思い詰めず、それくらい楽しみながら生きていかないとね。