黒海発「イギリス・海の力 vs ロシア・陸の力」が日本の近代史に及ぼした影響とは?
太平洋戦争
太平洋戦争の遠因が、日本の大陸進出であったことはまちがいない。日露戦争のあと、日本はロシアから南満州の鉄道を手に入れ、次第にこの地域への影響力を強め、大陸国家すなわち「陸の力」の様相を呈しはじめる。 1931年に満州事変が勃発してから、日本は国際連盟のリットン(イギリス人)調査団(1932年)の結論(妥協的なものであったが)を無視して満州を支配し、国際連盟を脱退、ドイツと同盟を結び、中国に進出、さらにソビエトと中立条約まで結ぶ。ここに至って「アングロサクソン軍事力+ユダヤ資本力」という世界的な「海の力」は、日本を、ソビエトやドイツ(欧州における新興の「陸の力」)と同様、ユーラシアにおける「陸の力」として認識するに至ったのだ。 仏印進駐のあとアメリカから強硬なハル・ノート(1941年)を突きつけられた日本は、ついには真珠湾攻撃となる。ユーラシアの帯の東の果ての島国は、全方位の開戦という、戦略なき戦争に突入した。島国にとって大陸は、夢の地であったが、泥沼でもあったのだ。 第二次世界大戦を俯瞰するに、ドイツのヒトラー、イタリアのムッソリーニ、イギリスのチャーチル、ソビエトのスターリン、アメリカのルーズベルトなどと比較して、戦時における絶対指導者すなわち大きな戦略に従って国家の舵取りをする人間が不在であったことが、戦時日本の著しい特徴であり、未曾有の戦争に突っ込んでいった理由もまた責任も、その点から考察すべきではないだろうか。また陸軍士官学校、海軍兵学校、帝国大学の秀才たちには、歴史観にもとづいた長期戦略立案能力も、幕末の薩長の若者たち(下級武士)のような現実対応力もなかったように思える。またアメリカの強硬さにも、長期的な戦略で動くイギリスとは異なる、若い国の側面があったのかもしれない。
戦後・アメリカの地政力学とともに
戦後日本では、ソビエトの影響と支援を受けた左派の力が強くなりストライキが頻発したが、朝鮮戦争の勃発とともに、GHQは、日本を民主化することから共産主義の防波堤とすることに方針を転じ、列島はアメリカの「海の力」(第7艦隊)に組み込まれた。 日本の右派が、戦前のアジア主義からアメリカ主義に一転したのは、日米両国における共産主義へのアレルギーが強かったことを示すとともに「アングロサクソン・海の力 vs ロシア・陸の力」という地政の力学がいかに強かったかを示している。もちろんそういった力学は現在、中国に対する、アメリカとその追随国の封じ込め政策となって現れている。 そう考えてみると、19世紀初頭にはじまる、黒海におけるイギリスとロシアの対立の影響が、遠く離れた日本の近現代史にまで及んでいることを強く感じざるをえない。 今、東シナ海には黒海に似た状況が生じつつあるようだ。台湾は東のクリミアとなるのだろうか。 ウォーラーステインの「世界システム」は経済のシステムであったが、それは政治と戦争の世界システムでもあった。