中畑清氏が明かしたキャッチフレーズ「絶好調!」誕生裏話 レギュラー獲得につながった「日米野球」での大活躍は愛妻のおかげ
原辰徳氏にサードを奪われるも“ケガの功名”
長嶋監督退任後、巨人の監督に就任したのは藤田元司氏。初仕事となったドラフトで4球団が競合した黄金ルーキー・原辰徳氏を引き当てる。藤田新監督は開幕から原氏をセカンドで起用した。 徳光: 藤田さんはどうでしたか。 中畑: 素晴らしい人物でしたね。目配り、気配り、思いやりっていうか。レギュラークラスには「当たり前だ」みたいな感じでほとんど気を遣わないんですよ。それよりも、裏方の人とかに対しての気遣いというのがね、人としての厚みがありましたね。 徳光: 今度は原辰徳さん入団の話になるんですけど、原さんは、最初、セカンドでしたよね。 中畑: そうそう。篠塚がセカンドだったんだけど、そこに原が入るようになった。サードは俺に気を遣って動かさないでくれて。 でも、後楽園の阪神戦で、私が一塁に出塁して次の原が打った打球がサードゴロ。俺はダブルプレーを防ぐために猛烈なスライディングをかましたら、(阪神・セカンドの)岡田(彰布)の足に引っ掛かって、岡田が2回転ぐらいして俺の上に落っこちてきたのね。で、左肩の脱臼。 痛い肩を押さえてたら場内アナウンスが始まりました。「ポジションの交代です。サードは中畑に代わり原」。5万の観衆が「ウワー!」っていう大歓声。それが、ファンが望んでた形なんだよね。 中畑: 「ケガが治っても、あー、もうサードには戻れないな」。あの歓声を聞いた瞬間に俺はそう思った。 徳光: サード・原で決まりだなと。 中畑: 「治ったあとはどうすればいいのかな」と思ってたら、首脳陣が考えてくれて、(山本)功児さんを外野に持っていって俺はファースト。ファーストの練習なんかしてなかったんだけどね。 徳光: 伊東キャンプが生きたなと思ったんですけど、ファーストでもゴロを捕るのは抜群にうまかったですよね。 中畑: サードはひどかったけどね(笑)。 徳光: いやいや。 中畑: それで、ものすごくいい形でつながりができていくんですよ。打線がつながって攻撃力もアップしていく。天が与えたケガだって言っても過言じゃないぐらい。 徳光: 結果的にはこれが良かったわけですよね。 中畑: 良かった。日本一にもなったしね。いい思いができたんだよ。 藤田監督1年目の昭和56年、4年ぶりにセ・リーグを制した巨人は日本シリーズで日本ハムを4勝2敗で破り、V9最後の年以来8年ぶりの日本一に輝いた。 (BSフジ「プロ野球レジェン堂」 24/8/20より) 【後編に続く】
プロ野球レジェン堂
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