中畑清氏が明かしたキャッチフレーズ「絶好調!」誕生裏話 レギュラー獲得につながった「日米野球」での大活躍は愛妻のおかげ
土井正三コーチの一言から生まれた「絶好調!」
徳光: 中畑さんの代名詞「絶好調!」は、いつごろ誕生したんですか。 中畑: 3年目。ミスターが練習中に「キヨシ、調子はどうだ?」って聞いてきたんで、「いやー、まあまあですね」って答えたら、それを聞いてた土井コーチに呼ばれて、「キヨシ、ミスターが『調子どうだ』って聞いて、『まあまあですよ』なんて言う選手を使うわけがねえだろ、バカ。『絶好調!』って言ってこい、このやろう」って。 中畑: それから、聞かれてもないのに、自分からミスターのところまで行って、目の前で「絶好調です、絶好調です」って言うようにしたの。 徳光: そうなんですか。 中畑: 最初のころは「うるさいな、お前は」だったんですけどね、一発成功しちゃったの。 長嶋さんって、ベンチで「代打に行きたいやついるか」とか聞いたりすることがあるのよ。そうすると、俺が「はい! はい! はい!」って誰よりも早く手を挙げるから、「よし、じゃあ、キヨシ、行け」って言って使ってくれるんですよ。それで連発するようになって、それが定番になってきたんですよ。 徳光: なるほど。それで「絶好調!」なんだ。 中畑氏は4年目に一軍に定着。昭和54年の成績は100試合に出場して打率2割9分4厘、12本塁打、打点45だった。 徳光: ここからが“中畑清”の出発だよね。 中畑: そうですね。その「絶好調!」を言い続けて3カ月ぐらい、打ちまくったんですよ。常にマルチヒットで、信じられないくらい、ずーっと打ち続けて…。 徳光: そして、この年のオフがあの伊東キャンプになるわけでしょ。
地獄の伊東キャンプ「朝が来るのが怖い」
昭和54年秋、巨人は若手選手を集めて静岡県伊東市で約1カ月間のキャンプを行った。その練習の厳しさは“地獄の伊東キャンプ”として語り草になっている。中畑氏のほかに江川卓氏、西本聖氏、鹿取義隆氏、角三男氏、山倉和博氏、篠塚利夫氏、松本匡史氏など後のジャイアンツの中心選手となるメンバーが参加した。 徳光: 伊東キャンプは、これからっていう選手が揃ったわけですよね。 中畑: みんながみんなレギュラーを取っていった。トレードで他のチームに移った選手も成長して結果を出して一人前になれたのは、この伊東キャンプが土台ですよ。 徳光: でも、伊東キャンプは内容的にはすごかったですよね。 中畑: 僕が野球やってきた中で、これほど苦しんだことはなかったですから。よく「野球漬け」って言われますけど、寝て、起きて、寝て、起きて…、起きてる間は、本当に野球のためだけに過ごしてる時間、体をいじめてる時間なんですよ。だから、ほかのことを何もやれてない。 僕は“カレーライス大好き人間”なんだけど、最初はお昼に出たカレーライスを吐くぐらい。体がカレーを受け付けてくれなかったぐらいの練習量。 夜になると、次の日の朝が来るのが怖くてね。「また、あの練習が始まるのか」ってね。 徳光: でも、あれが良かったんでしょう。 中畑: 良かったなんてもんじゃないでしょ。伊東キャンプの存在は、我々、あのメンバーには最高の財産ですよ。だって、これだけやったんだからって裏付け、それしかないですもん。何とかなるんじゃないかっていうね。
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