“先輩と妻”に救われたFW「やっていける気せんわ…」「日本、帰んなよ!」ドイツで町野修斗が愛されるまで「自分の知っているドイツ語を」
林大地に弱音を吐くと「日本、帰んなよ!」
しかし、ドイツ北端の州にあるキールにいる町野はそうもいかなかった。街には大きな空港もなく、デュッセルドルフまではドイツ版新幹線ICEでも最低5時間はかかるし、首都ベルリンまでも4時間弱だ。過去にブンデスリーガでプレーして、日本代表の常連となった選手でそんな環境を経験したのは長谷部誠くらいだろう。 だから、履正社高校の2年先輩である林大地がニュルンベルクに所属していた頃、リーグ戦で顔を合わせたときは試合後に「ドイツでやっていけるかどうか不安ですわ」と弱音を吐かずにはいられなかった。 先輩の返事は早かった。 「みんな、そんなもんや! 絶対、日本に帰んなよ!」 先輩は同情してくれるのではなく、愚痴を聞いた上で励ましてくれた。 「そもそも、自分のなかでためこんでいたものを伝えられるような選手すらいなかったので。林選手に伝えられたことで、(スッキリした)というのもありますし、林選手の『みんなもそうだったんだから』という言葉を聞いて、頑張らないといけないと思えましたし。あとは……」
妻が唯一、日本語で話ができる存在でしたし
もう一人、町野を救ってくれた存在として挙げなくてはいけないのは、最愛の人だった。 キールが過酷な要素は、デュッセルドルフが遠いこと以外にもある。ヨーロッパ全土を見回しても北部に位置するため、夏は白夜に近いほど陽が長い。ところが、冬になるとそれが反転する。10月最終週をもってサマータイムが終わると、1日のうちの夜が占める割合が一気に長くなってしまう。起きている時間のうち半分くらいしか陽の光を感じられない時季もある。そういう状況も、前向きになれない気分に拍車をかけた。妻がいなかったら、どうなっていただろう。 町野はこう明かす。 「当時は、妻が唯一、日本語で直接話をできる存在でしたし、オフには色々なところへ出かけたり、一緒に気分転換をしてくれたのは大きかったです。まぁ、そばにいてくれただけで大きかったんですけどね」 妻だって初めての海外生活で大変だったはずだ。それなのに、“仕事”で壁にぶつかっている自分を支えてくれた。 「そもそも、こうした環境についてきてくれるのは簡単なことではないので。本当に感謝しています」 先輩の言葉や自分以上に強さを見せる妻の存在もあり、町野も少しずつ態度を変えていった。心を閉ざすのではなく、自ら心を開いていく。そう心がけることで、少しずつ練習場での日々も変わっていった。いつしか、練習後にチームメイトとともにサウナへ入るという日課も生まれた。
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