【谷原店長のオススメ】「磯田道史と日本史を語ろう」 歴史を俯瞰、混迷の時代を生きるヒントに
俳優・谷原章介さんが店長としてイチオシの本を紹介する「谷原書店」。今回は、歴史学者・磯田道史さんの対談集『磯田道史と日本史を語ろう』(文春新書)を取り上げます。
これからの時代は、ゼネラリストよりもスペシャリストだな――。歴史学者・磯田さんの本を読み、つくづく感じました。幼い頃から歴史に強く興味を抱き、遺跡探しやお城めぐりに明け暮れるまま、仕事へと繋げていった磯田さん。「好きこそものの上手なれ」そのものの人生を歩んでおられます。彼のように、自分の興味に向かって突き進める人こそが、混迷の社会で生き残っていけるのかもしれません。 今回ご紹介する本には、磯田さんと、各界の著名人との対談がまとめられています。阿川佐和子さん、半藤一利さん、堺屋太一さん、浅田次郎さん、杏さん、養老孟司さん……それは多彩な対談相手が章ごとに次々と登場します。なんと徳川宗家の第19代当主も登場し、家康の女性観について子孫としての考えを述べる場面も。戦国武将や幕末・維新史、養生訓といったふうに、章ごとのテーマが重なったり、異なったりしていくため、この国の歴史を複眼的に見つめることができます。 最初に磯田さんの存在を知ったのは、映画「武士の家計簿」でした。京都の撮影所で映画ポスターを見て知り、「面白い視点から時代劇を描くんだな」と思ったのがきっかけです。そもそも、この映画のモチーフとなった本『武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新』(新潮新書)を磯田さんが書いたのは、東京・神保町の古書店で「金沢藩士猪山家文書」という武家文書を見つけたからでした。精巧な「家計簿」が完全な姿で遺され、武士の家がその格式を保つために、儀礼の費用などにどれだけ多大な費用をかけていたか、どれだけ家計を圧迫させていたかを知り、驚いたそうです。 磯田さんは、NHKのインタビューでこう語っています。「歴史は安全靴だと思っています。歴史を知っていれば、災害が避けられたり、苦難が避けられたりする。だいたい類似の予測ができる。だから、西洋のことわざで言うところの、『歴史は繰り返さない。繰り返さないが韻を踏む』」 こうした視座から歴史を見返していくと、混迷の現代を生きる僕たちにも、課題を解決するヒントが浮かび上がってくるかもしれません。まったく同じ形で再現されるのではなくとも、螺旋のように似たことがこの世界では起こる。災害史研究の第一人者でもある磯田さんならではの視点です。 磯田さんはこうも述べています。「身も蓋(ふた)もないことを言えば、江戸幕府は民のためではなく、徳川家のためにつくられた体制なんです」。その一環が「鎖国」。大きな船をつくり貿易することを禁じました。江戸時代は、徳川家存続のためだけにあり、民は民で皆、勤勉で、贅沢せず、死なない程度に細々と、一つひとつ積み上げていくように暮らしていたのです。……こう書くと、なんだかちょっと現代の日本社会と似ている気がしませんか。 作家・中村彰彦さんとの章「『龍馬斬殺』の謎を解く」では、まるで抜き身の刀でバシバシ斬り合うかのように、双方の異なる見解が緊張感をもって交わされていきます。幕末、坂本龍馬ら3人が京都の「近江屋」で殺害された、いわゆる「近江屋事件」。そもそも「暗殺」だったのか。「黒幕」の人間、直接殺害者のほかに首謀者は存在したのか。磯田さんも中村さんも、実行犯は江戸幕府の組織「見廻(みまわり)組」というので間違いないけれど、「龍馬の居場所を見廻組に知らせたのは誰か?」という点において意見を闘わせます。 おびただしい文献にあたってきた二人だからこそ出される、緻密な見解。そのあまりの細かさに、読者は置いていかれそうになりますが、現代も愛され続ける龍馬の人生観、人物像をうかがい知る貴重な対話です。磯田さん自身、中村さんとの対談を振り返り「屈指の歴史知識を持つ。会えば泉の如(ごと)く史論が湧いた」と書き綴っています。 近現代史研究で知られた作家・半藤一利さんとの対談の章では、昭和の軍国主義がいきなり起こったわけではなく、幕末から日清、日露、昭和を連なりとして捉える必要があることが、お二人の対話によって詳(つまび)らかにされます。近現代史の連なりに対する理解度が一気に深まります。その驚きは、まるで、2、3階の窓から眺めていた世界が、一気に東京タワーを駆け上って眺められるようになった、というレベル。平安期から続く天皇の「御爪点(おつめてん)」エピソードも必読です。こういった世界を内包してきたからこそ、天皇家が永く続いてきたことがわかります。 対談集のなかで、僕が面白く読んだのは、養老孟司さんとの章「脳化社会は江戸から始まった」です。養老さんは「関東大震災が、太平洋戦争に関係している」と説きます。曰(いわ)く、「首都東京で焼け野原と死体の山を見てしまったから、人間の脳が無意識に、死を軽く見るようになってしまった」「大災害を経て被害に対するセンシビリティが鈍くなっていた」。養老さんの鋭い指摘をたどりながら、データには現れづらい、当時の人々の心身への影響に思いをはせます。 養老さんは「人間の手が加わっていないものを見ずに一日を暮らすことはいけない」と述べています。その言葉に磯田さんは感動し、「私も人間の手が何も加わっていない自然物を見ずに一日を過ごすと、何かおかしくなるんです」と同調しています。その言葉には、僕自身もズシンと来るものがあります。さらに養老さんは本書で「都会の人間は全員、田舎に参勤交代しろ」と主張します。「全員強制で、田舎へ年に1カ月は行って、自然を見ながら別の仕事をするか、都会で疲弊した身体を修復せよ」と。この章は特に、日々の考え方、生き方を見つめ直すきっかけを与えてくれる気がします。人間の手の加わっていないもの。都会、田舎……。充実した毎日を送っているつもりが、知らぬうちに疲弊しているかもしれません。 磯田さんほどではありませんが、日本史を紐解く作業は僕自身も好きです。それは役を演じるうえで、より意味を持ちます。たとえばNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で竹中半兵衛を演じた時には、彼が家臣として仕えた美濃国(現・岐阜県)の国主・斎藤道三の山城の城跡に行ったり、ゆかりの本を読んだりして臨みました。実在の人物を演じる時には、それがたとえ、どれだけ現代から時を経ていたとしても、その方が歩いた場所、見たであろう景色に身を置くよう、できるだけ心がけています。そうすることで、「右脳」からイメージを膨らませてくれる気がするのです。 文献などで得た「左脳」的な人物像と併せ、「感じる」ために現地に出向きます。ご遺族の方にお話を聞くこともあります。そうすることで、より立体的に浮かび上がってくるのです。憎まれ役の人物が、地元では今もなお愛されている様子を知ると、「これまで描かれてきた側面とは違う顔もあるのでは?」。そんな発見にも繋がります。 ところで、今回の本のタイトルには「日本史を語ろう」とあります。ところが、「縄文人か弥生人か」といった太古の話は、じつは少しだけしか載っていません。もっともっと読みたい。国境線の引かれるずっと前の、日本列島と大陸とのエピソードについて知りたくなります。いま一度、日本の歩みを振り返ってみることで、僕たちが今後、どう生きていくのか、どんな社会を形成していくのかを考えてみる。この本は、その道を照らすきっかけになる一冊だと思います。
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先ほどご紹介した『武士の家計簿』を改めて読み返したくなりました。磯田さんといえば、2023年に刊行され話題となった『日本史を暴く』(中公新書)も外せません。明智光秀が織田信長を欺けた理由、信長の遺体の行方、江戸でカブトムシが不人気だった背景……。戦国や江戸、幕末の歴史の裏側について、磯田さんならではの軽快な筆致が光ります。NHKで出演中の番組も面白いですよね。磯田さん、知識の泉が湧き出るあまり、永遠に喋り続けていて、思わず笑ってしまいます。(構成・加賀直樹)
朝日新聞社(好書好日)