健康を左右するのは「地位」よりも「裁量」だった ストレスとはプレッシャーだけの問題ではない
体が適切に機能しているときには、ストレスは私たちの助けになるような一連の生物学的変化を引き起こす。 石器時代の祖先たちについて考えてほしい。あなたがその1人で、朝の散歩に出掛け、少しばかり狩りや採集をしたいと思っていると、突然1頭の剣歯虎が尾根に姿を現し、漠然とあなたの方を眺めながら牙を剝いたとしよう。 あなたも剣歯虎も、ストレスに誘発された反応を見せる。体は通常の消化活動をやめ、エネルギーを長期保存の脂肪の生成ではなく血流への即時の注入へと振り向ける。これは理に適っている。あなたもトラも、まもなく起ころうとしていることのために臨時のエネルギーが必要だからだ。
消化が休止するため、唾液の生成が遅くなる(サポルスキーが指摘しているように、私たちは不安なときに口が渇く理由もこれで説明がつく)。成長や組織の修復といった、良好な健康状態に必要な長期的なプロセスも停止される。 これは、歓迎するべき身体版のトリアージだ。なにしろ、剣歯虎に捕まれば、修復するべき組織が1つも残らないかもしれないのだから。 それと同時に、視床下部が脳下垂体に素早く行動を開始するよう指示する。交感神経系がフル回転を始め、ホルモンを分泌して心拍数を増やし、血圧を上げる。アドレナリンが血流にどっと流れ込む。
万事が順調にいけば、あなたが生き延びる可能性が高まる。この現象は、一般に「闘争・逃走反応」と呼ばれる。ストレスは、私たちを救うのに役立つようにできているのだ。 だが、現代生活の他のじつに多くの面と同じで、ストレス反応も石器時代の進化上のデザインから逸脱してしまった。 人前で話をするのが怖いのに、大勢の前で話す羽目になったことのある人はみな、私たちの祖先が捕食者に直面したときに感じたのに似たもの、すなわち、典型的なストレス反応を経験したはずだ。
それは完全に正常であり、たいていは、どうということはない。だが問題は、マーモットとサポルスキーが揃って主張しているように、闘争・逃走反応が一部の職場や生活様式では、短期的な緊急事態ではなく慢性的な状態になってしまった点にある。 恐ろしい捕食者に出くわすといった例外的な非常事態ではなく、特定の仕事の苛酷さのせいで、私たちはストレスモードに入る。たんに急性のストレスであるべきものが、今や私たちのあまりに多くにとっては日常的なものになっているのだ。