「優れた監督とは…」コンテはナポリをどう蘇らせたのか。稀代の修復士が愛されるわけ「選手を合わせるものではない」【コラム】
⚫️「最高の監督」と言わしめるコンテの魅力
コンテは感情を爆発させる激情家でもある。テクニカルエリアでは相手監督と激しい口論を交わし、審判団に噛みつくことも少なくない。歯に衣着せぬ物言いで、クラブの幹部にも不満があれば食いかかる。そのため、エキセントリックなデ・ラウレンティス会長とは対立するのではないかとの不安が拭えないが、今のところは幸い双方の衝突はない。 コンテ効果は就任当初から絶大だった。5月、ジョバンニ・ディ・ロレンツォが「ナポリでのサイクルは終わった」と話し、退団は確実視されていたが、コンテは主将の決意を翻意させることに成功。続いて、ナポリを離れる噂のあったフビチャ・クバラツヘリアも自ら説得し、残留させた。 トリノからはイタリア内外のビッグクラブから関心を集めていたアレッサンドロ・ブオンジョルノを獲得。入団会見では「監督との会話で気持ちが高まった。重要な一人だと感じさせてくれ、信頼してくれているとわかった」と語っている。 そして、インテル時代のコンテの教え子のロメロ・ルカクも、恩師への忠誠を尽くす選手だ。ナポリへは、移籍市場が閉幕する直前の8月29日ではあったが、去就が決まる前から「これまで指導を受けた中で最高の監督はコンテ」と明言。そして、4シーズンぶりに相思相愛の監督との再会を実現した。コンテはスクデット獲得の貢献者、ビクター・オシムヘンを手放してまでも、ベルギーのフィジカルモンスターへの愛を貫いた。 コンテに魅せられた男はもう一人いる。
⚫️「先発できなくてもチェルシーに残った」
それは、コモを指揮するセスク・ファブレガスだ。 10月4日のナポリ戦前の記者会見において、37歳の青年監督は「コンテはこの10年において恐らく最も優れた監督だ。チェルシー時代に2年間指導を受け、彼のトレーニングには少し苦しめられたが、コンテをとてもリスペクトしている。監督の指導は、それまで私が見たことも聞いたこともないものだった」と話した。 さらに「監督は、私に当時『先発させることはないだろう』と言ってきたが、常に私に敬意を払ってくれていた。それゆえ、先発できなくてもチェルシーに残った。私はハードワークし、4か月が過ぎたときには常に出場していた。監督からは多くのことを学び、成長した。そうして我々は共に、プレミアリーグとFAカップを制したんだ」と続けている。 コンテは今季、序盤から3-4-2-1の布陣を採用していたが、第5節の敵地でのユベントス戦でシステムを変更。4-3-3で戦いに挑み、それから一貫してこのシステムで戦い続けている。 コンテが代名詞とも言える3バックを放棄して、4バックを取り入れた理由は簡潔だ。ナポリには多くの優秀なウインガーが揃っている。イタリアだけでなく、欧州全土に名を馳せるクバラツヘリア、マッテオ・ポリターノ、さらに、今夏の移籍市場ではダビド・ネレスをベンフィカから獲得。これだけのサイドアタッカーを活かさない手はない。 そのため、コンテが3-4-2-1から、従来採用していた3-5-2に変えることは難しかった。指揮官はシステム変更について次のように説明した。