和洋折衷をコンセプトにグローバルに活躍するデザイナー、桑田悟史とは
昨年若手ファッションデザイナーの登竜門であるLVMHプライズでグランプリを獲得し、世界中から注目を浴びたセッチュウのデザイナー、桑田悟史。1983年に京都で生まれた彼は、なぜ今イタリア・ミラノを拠点とし、和洋折衷を由来とした名のブランドを立ち上げたのか。一時帰国し、ドーバー ストリート マーケット ギンザでプレス関係者向けに2024-25年秋冬コレクションのプレゼンテーションと朝食会を行った桑田に話を聞いた 桑田悟史、和洋折衷のタイムレスな服(写真)
全てはブランドを立ち上げるために
受賞を機に出た多くの記事で見かける桑田は、精悍な顔立ちにサイドを刈り上げたヘア、趣味の釣りによるという焼けた肌。その無骨な風貌に加え、ジバンシィといったラグジュアリーブランドだけではなくYeことカニエ・ウェストのデザインチームにまで在籍経験を有し、海外をベースにコンセプチュアルな名のブランドを展開している。勝手に近寄りがたいイメージを持っていたが、プレゼンテーションではユーモアも交えながら丁寧に、そして堂々と2024-25年秋冬コレクションについて説明。朝食会では参加者一人ひとりに挨拶をして周っていた。イベント終了後、単独取材を始める頃には、その謙虚で親しみやすい人柄のおかげですっかりこちらの警戒も和らいでいたのだった。 桑田が海外へ飛び立ったのは21歳の時。 オーダーメイドのスーツづくりで有名な、ロンドンのサヴィル・ロウでテーラリングを学ぶためだ。 「小さい頃からテーラリング、特にジャケットが好きだったんです。分解してみたらいろんな層があって面白い。ちゃんと構造を理解して作れるようになりたい、と思いました。ひょっとすると少年たちがプラモデルに夢中になる感覚に似ているのかもしれませんね」。 母親に教えてもらったりしながら10歳になる頃にはミシンを使って服を作るようになった。数年後ファッションデザイナーという職業を知り、自分のブランドを立ち上げたいと考える。 「大好きな服を作って売ることが仕事になるファッションデザイナーって良いな、と幼いながらに思い、すでに“和洋折衷”のようなことをやりたいとも考えていました」。 その目標に向かって、まずは「勉強のために」国内の有名セレクトショップの販売スタッフに。服のイロハを学ぶ中で先輩たちから「テーラリングの本場はイギリス」という話を聞き、イギリス行きを決意した。 英語はできなかったがサヴィル・ロウのテーラーを片っ端から周って「ギブ ミー ジョブ」と言い続け、ようやく映画『キングスマン』(2014)の舞台ともなった老舗「ハンツマン」で職を得る。セント・マーチン美術大学にも通いつつ、服づくりを学ぶ日々を送るのだった。 「セント・マーチンの先生には、狭き門であるサヴィル・ロウでの経験の方が貴重だから、そちらを優先させなさい、と言われました。サヴィル・ロウは文化を学ぶ場でもある。とりあえずいろんな人とお話をして、一分一秒を惜しんで何でも吸収しようとしていました」。 その後、あらゆるジャンルのブランドに籍を置くのだが、それも「自分のブランドを立ち上げる」という目標の実現のため。 「わざといろんなところを選んだんです。ラグジュアリーブランドをある程度経験したら次はアウトドア、靴、バッグという感じで。サステナビリティを勉強したいからその先駆的ブランドと言われるイードゥンに行ったり。もちろんラグジュアリーブランドで働くステイタスは理解できますが、僕の場合は自分のブランドのために学びながら給料をもらえる環境の方が重要でした」。