歪みへの感情/執筆: 柴田聡子
近視や遠視などで度が入っている眼鏡をかけている人の顔の輪郭を正面から見ると、レンズがかかっているところだけ少し内側に引っ込んでいたり、逆に膨らんでいたりする。レンズで歪んで、そこだけちょっと変化がある。このことにすごく惹かれる。 柴田聡子さんの1か月限定寄稿コラム/TOWN TALK
正面から見るだけでなく、ちょっと斜めからも眺めてみる。顔の輪郭の外側の世界がレンズの中で歪んでいるのが見えると思う。そこは、ぐにょん、またはぶにょんとした雰囲気の空間で、足を踏み入れたら最後、時空のうずにからめとられて永遠に沈んでいってもう二度と戻れない、そういうことを考えて鼓動を早めている。
この歪みは絵画や漫画でも忠実に描かれることが多いし、ほとんどの人が認識していると思っていたけれど、案外そうでもないらしい。だから、「あの作者の漫画は絶対に輪郭を引っ込めるのがほんとうに良いですよね~!」と熱を込めて話す人に出会った時、椅子から立ち上がってよろこびを、興奮をからだいっぱいで表現してしまった。あれはなんともうれしかった。
輪郭が大小するということは眼鏡の中心にある目もまた大小している。それにもなぜか惹かれる。裸眼だとぼんやりした風景の像が、眼鏡を通せばはっきりする、そうやって眼鏡の人が世界を見ているという単純だけど不思議なことがなんだかたまらない。とてつもないありがたさと、とてつもない畏れを感じる。少し小さく大きくなった目を見ると、そのなんともいえない高まりが心に押し迫ってきて無視できない。その感じが割と幸福。
眼鏡に度を入れる時、自分は強めの近眼なので、けっこうな割合で「レンズを薄くしますか?」と提案を受ける。度数が入れば入るほどレンズは厚くなって重たくなり、かけ心地はやや悪くなる。フレームが繊細なものだと厚さが目立ってしまい軽やかな良さが薄れる場合もある。単純に目を左右に振った時のレンズ端の見やすさも変わってきそう。レンズが薄くなればそういったことも改善されて、目の大きさもほぼ保たれることになるものの、目の大きさの変化の度合いが減るのがすこし惜しくて、二の足を踏むことがある。