値上げ、物価高はどこ吹く風~74円均一で話題の激安王を大解剖
実際、困っている業者は多く、ゑびすやに毎日のようにやってくる。 「年に何回か本当に売り込みたい時があります。目標を達成できない時にまず唐鎌社長の顔が浮かぶ」(「田原罐詰」営業課長・大隅睦生さん) 業者が困った時、ゑびすやを選ぶ大きな理由もある。500キロの米を納品に来た業者は、作業を終えると、社長の孝行の元へ。ゑびすやは基本、商品が納品されたその日に現金で支払っている。在庫を抱え資金繰りが厳しい業者にとってはありがたいシステム。一方、ゑびすやにも、「現金で払うことによって、仕入れ価格が1~2割安くなるんです」(孝行)というメリットがある。共存共栄の関係で生き残っているのだ。 「『1円を笑う者は1円に泣く』と言うぐらい、商売は細かいことの積み重ねだ」(秀貢)
採算度外視?1000円詰め放題~親子二人三脚で安さを売りに
ゑびすやにはバカ値市の他にも客熱狂の激安イベントがある。1000円でLサイズのレジ袋に食品を詰め放題。そもそも詰める前から袋には1250円相当のゼリーが入っており、詰め放題のコーナーにはカップ麺やスナック菓子などが山盛り。しかもルールは甘めで、レジ袋からはみ出していても大丈夫。なんとか押しこんだ女性客は「社長は知り合いだから大丈夫」と、計38点5700円相当の成果だった。
「インフレ傾向で物が高くなって売れないでしょう。大手は独自の取り組みをしているから、彼らのマネをしても勝ち目なんかないんだ」(秀貢) 儲け度外視のイベントで客を呼び込み激安価格でまた来てもらう。このやり方で厳しい小売の世界を生き抜いてきた。
秀貢は1938年、足立区の質屋に5人兄弟の次男として生まれた。父親は戦死し、代わりに母親のヤスが店を切り盛りした。女手一つで育ててくれたヤスがある日、こんなことを言った。 「母親が『お前は学問が好きじゃないから体で覚えなさい』と」(秀貢) 「仕事は体で覚えろ」。この言葉が秀貢の生き方を決める。高校を卒業すると上野の米問屋に丁稚奉公。商売のイロハを学んだ。24歳で独立し、足立区で米や砂糖の卸問屋を始めると商才を発揮。3年後には小売も始め、27歳の若さでゑびすや商店を創業した。 その後、「足立区の激安王」となるにはきっかけがあった。20数年前、アメリカへ視察旅行に行った時のこと。現地のコーディネーターからパソコン画面を見せられ、衝撃を受ける。それは当時、アメリカで急成長していたアマゾンのサイト。メーカーと消費者を直接結びつけることで、物が安く買える仕組みを目の当たりにしたのだ。 「日本もそういう時代になる」と危機感を抱いた秀貢はアメリカから帰国後、これまで以上に安さをアピールしていく。 この時、始めたのが前出の税別68円均一のコーナーだ。しかもそこに必ず一つ、儲け度外視の目玉商品を置いた。例えば、置かれていたスマホケースは、参考価格が4000円を超えるものだった。 経営体制も見直した。攻めすぎる自分の性格を考え、会社に引き込んだのが一人息子の孝行だ。 「私はハイリスクハイリターン、息子はノーリスクハイリターン。そんな違いがあってちょうどいい」(秀貢)