「顧客にどれだけ損をさせ」「何人部下を辞めさせたか」を自慢するかつての野村證券の営業マン…新人研修の担当部長は「法令違反を犯して表営業できなくなった社員」
わが投資術 市場は誰に微笑むか #1
2005年に長者番付1位となった伝説のサラリーマン、清原達郎氏。彼がヘッジファンドを運用してきたノウハウをつづった書籍『わが投資術』より一部抜粋・再構成し、野村證券に入社した当時のエピソードをお届けする。いまとは異なる80年代の野村證券の営業スタイルに唖然とさせられる。 【画像】株価の典型的な動きとは
野村證券入社―抱いた「強烈な違和感」
野村證券の営業マンが、儲かる株を見つけて顧客に買ってもらったら2年で3倍になった。この営業マンは優秀なのでしょうか? 答えは真逆です(これは決して今の野村證券の話ではありません。40年前の野蛮だった時代の話です。数々の不祥事を経て、現在の野村證券はコンプライアンス重視の立派な優良企業に生まれ変わっています)。 40年前、野村證券にこんな営業マンがいたら支店長にひどく叱責されていたでしょうねえ。「何で売り買いを繰り返しやらないんだ!!」「2年あれば100回以上売り買いして手数料を稼げるだろうが!」というわけです。100円で買った鉄鋼株を101円で売らせる。これが立派な野村證券の営業マンでした(繰り返しますが今は違います)。 101円で売ると、手数料を差っ引くと儲けはごくわずかです。当時の野村證券は割安株など絶対に勧めませんでした。「高速回転商い」という手数料を手っ取り早く稼ぐ方法で勢いのある株を天井近くで売買するのです。40年前の野村證券には「顧客が儲けて自分も儲かる」なんて発想は微塵もありませんでした。 当時の営業マンは「顧客を儲けさせた」という自慢は一切しませんでした。そんなことは自慢にならないからです。彼らの自慢は「顧客にどれだけ損をさせたか」と「どれだけ部下をいっぱい辞めさせたか」の2つです。 私は「客に損をさせたことを自慢する」ことに強烈な違和感を覚えました。野村證券の営業マンたちも最初は違和感を覚えたのだろうと思います。 でも、研修や先輩の教育やらで、それが当たり前になっていったのでしょう(私が新入社員だった時の研修部長は、法令違反を犯して表に出て営業ができなくなった「切れ者」でしたし、その下の課長も顧客とトラブルになって裁判沙汰になったモーレツ社員でした。今では考えられませんが)。 当時、私はヘッジファンドの存在について知る由もありませんでした。ヘッジファンドなど、まだほとんど存在しなかったからです。「顧客がかって自分も儲かるビジネスモデルって本当に非現実的なんだろうか?」と漠然と思っていましたが、具体的な案はありませんでした。この強烈な違和感が、後に私をヘッジファンドへと駆り立てた一番大きな理由だと思います。