男子バレー・宮浦健人が語るパリオリンピックへの道 「もどかしかった」東京大会、海外リーグで得た自信
日本男子が16年ぶりに五輪出場を果たした2008年の北京五輪は、本戦で1勝も挙げることができなかった。当時の出場選手たちに話を聞くと、「直前のオリンピック最終予選ですべてを使い果たした」という声が多く聞かれる。それだけに、すでに出場権を確保していた日本がこのVNLをどう戦うのか、その中でだれがパリ五輪メンバーに選ばれるのかが注目された。 第1週目のブラジルラウンドは、直前までセリエAでプレーオフを戦っていた石川祐希と髙橋藍の合流が見送られた。宮浦はそこで"点取り屋"としてアピールすると同時に、ディグ(スパイクレシーブ)やつなぎでも西田に劣らないことを見せたいところだったが、パフォーマンスを100%発揮できているとは言い難かった。 4月の沖縄合宿でも、腹筋を痛めていた宮浦は別メニュー。その影響もあったのだろうが、本人は「コンディション維持も選手のやるべきことのひとつなので、それは言い訳にならないです」と唇を噛んだ。 しかし徐々に調子を上げ、"らしくない"姿を見せたのは第3週のフィリピンラウンドでのこと。宮浦は得点するごとに咆哮し、それまでの寡黙なイメージが覆った。解説の福澤達哉氏が「あれは意識してやっていたのですか?」と質問する場面もあったが、「ここしばらく力を発揮できない状態が続いて、何かしら殻を破ろうとして、あえてそうしました」と答えた。 石川も以前は淡々とプレーするタイプだったが、次第に感情を表に出し、周りを鼓舞するようになった。VNLでの宮浦の変化は、日本にとって頼もしい。 そして、6月24日に発表されたパリ五輪メンバー12人に、宮浦も名を連ねた。VNLの時点で2名だったオポジットは落選する可能性が低かったが、コート内でのピリピリした雰囲気は感じていたという。
「メンバーが発表されて、少しホッとしましたね。そこからチームで、『パリ五輪でメダルを持って帰ろう』という目標をあらためて確認しました。 そしてVNLファイナルラウンドでは、チーム最高の準優勝という結果を手にすることができた。石川選手も言っていたように、決勝の舞台を経験したことで、さらに戦い方が"わかった"と思います。チームスポーツですから、『自分が自分が』ということではなく、自分のために、そしてチームのために、やるべきことに集中してそれを果たすのみです」 VNL期間中の6月7日には、パリ五輪終了後のシーズンを古巣ジェイテクトでプレーすることが発表された。サントリーサンバーズ大阪に移籍する髙橋藍と共に、2027年シーズンまでの完全なプロリーグ化を目指して新設される「SVリーグ」の目玉になる看板選手のひとりとして、活躍が期待されている。 「本音を言うと、もう少し海外でプレーしたい気持ちもありましたが、日本のリーグが注目を集めていて期待されているのを感じるので、そこに自分も加わることができて嬉しいですね。ただ、とにかくその前にパリ五輪。必ずメダルを獲って帰ってきます」 自身、チーム、そして日本バレー界の未来のために。宮浦がパリの舞台に挑む。 【プロフィール】宮浦健人(みやうら・けんと) 1999年2月22日生まれ。熊本県出身、190cm。オポジット。鎮西高から早稲田大学に進学し、インカレ4連覇に貢献。在学中、ジェイテクトSTINGSの内定選手として入団。22年にポーランドのスタル・ニサに移籍し、1シーズンを過ごしたあとフランスのパリ・バレーに移籍。今年6月、ジェイテクトSTINGSへの復帰を発表した。
中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari