43歳という異例の若さで大学学長に就任し1年足らずで辞任したことを、ハイデガーは本当はどう反省していたか
ハイデガーとナチスをつないだもの
じつはハイデガーの哲学も、こうした時代状況を背景として、知の刷新により「フォルク」を新たに基礎づけようとする試みであった。つまり彼は「存在への問い」において、「フォルク」共同体の真の根拠となるものを追求していたのである。 そしてこの自身の哲学に立脚し、大学が「フォルク」を基礎づける新たな知の教育の場になることを早い時期から求めていた。まさに彼の思索は、当時の学生たちの学問、大学の刷新への待望に哲学的基礎を与えるものであったのだ。彼が学生たちのあいだで絶大な人気を誇ったのは、こうした彼の哲学の意図がある意味、正しく受け止められていたことを示している。 「フォルク」に根ざした共同体を求める学生たちは、ナチスが「フォルク」の再生を唱える政治勢力として台頭してきたとき、大挙してその支持へとなだれ込んでいった。こうしてナチスは政権を獲得する以前から、大学生たちを掌握することに成功していた。そしてナチスがドイツを支配すると、学生たちはそれまで大学運営を独占していた正教授たちを圧倒し、大学においてナチスの「強制的同質化」を推進していった。 ハイデガーは大学の変革を求める学生たちが学内でイニシアティブを握った状況を、自身が年来構想していた大学改革を実現する絶好のチャンスと捉えた。そして大学内のナチ系の教授はもとより、ナチ批判派の教授も事態を収拾できるのはハイデガーだけだと考えるようになっていった。こうして、時代の流れに押し出されるような形でハイデガーは、43歳という異例の若さでフライブルク大学の学長に就任した。 ナチスは政権を奪取した当初、明確な大学政策を用意できていなかった。また学生たちも改革を推進するにはあまりに知的に未熟だった。そこでハイデガーは学生たちを指導することにより、大学改革を正しい軌道に乗せることを試みた。つまり彼はこの時点では、自身の哲学によってナチズムを正しい方向に導くことが可能である、すなわちナチズムはいまだ哲学的に確定されたものではなく、自分の力でその内実を変えることができると信じていたのである。