浅香唯「休むことに罪悪感」それでも休業を選択した理由
1985年、当時15歳でアイドルとしてデビューした浅香唯さん。ドラマ「スケバン刑事III」に出演するなどトップアイドルとして活躍を続けていたが、23歳の時に芸能活動を一時休止し、4年半休業した経験を持つ。「休む時はすごく申し訳ないという気持ちだった」という浅香さんだが、今は「行き詰まってしまう前に休むことが大事」と語る。今でこそ休養をとる芸能人が増えたが、働くことが美徳とされていた90年代前半という時代に休業を選択した理由や、精神的に追い詰められていた過去を振り返って思うことについて聞いた。(聞き手:荻上チキ/TBSラジオ/Yahoo!ニュース Voice)
周りが頑張っているのに自分だけ休むことに罪悪感を覚えた
――浅香さんが15歳で芸能界に入った当時、どのくらい忙しかったのですか。 浅香唯: 宮崎県から1人で上京して東京の高校に入ったのですが、デビューして最初の頃はそれほど忙しくなくて、学校にもほぼ毎日通っていました。しかし、「スケバン刑事III」に出演していた16~18歳ぐらいの頃には、学校に行く暇もなくなり、自分の時間もなくなりました。 24時間のうちで使える時間は全部仕事に使うのが普通、という業界だったので、明け方4時ぐらいに家に帰ってきても、1時間後には家を出るということもざらにありました。寝る時間も食べる時間もないようなスケジュールでしたが、それが当たり前だと思っていました。 ――その忙しさをどのように乗り越えてきたのでしょうか。 浅香唯: ちょっと体調不良でも、気力で頑張るっていうのが当たり前の時代だったんですよね。実際に気持ちで乗り越えてきたことも多々ありました。今は「体調が悪い時は休みましょう」って言われることが増えてきて、変わってきたなと感じますね。 ――忙しいさなかで一時期休業されましたが、どういったきっかけがあったのでしょうか。 浅香唯: 20歳ぐらいの時、あまりにも忙しくて仕事に100%の状態で向き合えなくなってしまったんですよね。仕事はすごく楽しいんだけど、本当に自分のやりたいことと、できていることのギャップみたいなものを感じたんです。その時に生まれてはじめて「休みたい」と思いました。 でも、そう感じたところで「どうぞ休んでください」という時代ではなかったから、なかなか言い出しづらかったですし、そう簡単には休めるものではありませんでした。芸能のお仕事って来年やその先まで決まっているものも多いので、「じゃあ来月から休みましょう」というわけにはいかなかったんです。少なくとも決まっているお仕事はするっていうことで活動を続けて、結局休むまでに3年かかりました。 ――休むことに対して、罪悪感みたいなものはありましたか 浅香唯: もちろん、自分が休むと周りの方に迷惑をかけるかもしれないという思いが強かったですね。私が止まっちゃうってことは、一生懸命働いてくださる、周りのみなさんの仕事も全部止まってしまうということなので。昭和生まれ、昭和育ちで「みんな同じ」「みんなで頑張る」っていう協調性を大事にする育てられ方をしてきたからなのかもしれませんが、「みんなが頑張っているのに、自分だけ立ち止まろうとしているということはよくないんじゃないか」と思っていました。だから、お休みする時には、みんなに「すみません」って謝ったんです。自分の責任を果たせない、すごく申し訳ないという気持ちがありました。