「未完の始まり:未来のヴンダーカンマー」(豊田市美術館)レポート。5人の現代アーティストの作品からミュージアムの未来を想像する
ガブリエル・リコ
本展の入口では、ネオン管で作られた光る三角形と、ナイフの刃先を喉元に向けたウサギが鑑賞者を出迎える。可愛らしさを備えた洗練されたヴィジュアルだが、「人工」の圧力にを受けた「自然」が自らを死へと至らせるような切迫感も漂う。メキシコ出身・在住のアーティスト、ガブリエル・リコ(1980~)の作品だ。 本作のように動物や植物といった有機的なモチーフと、無機的な幾何学や方程式を組み合わせるのが、作家のアイコニックな手法だ。そこには、宇宙の自然法則を把握しようとする作家の探究心があるという。 本展では長く共同制作を行ってきたメキシコの先住民に捧げた作品を展示する。伝統的な技である毛糸絵やガラスビーズを用いた作品は美しく、神話や民族のアイデンティティが現代的な感性によって新たにプレゼンテーションされている。また同時に、こうした人々の生み出してきたものに外から向けられる異化のまなざしと欲望も照射されるようだ。
タウス・マハチェヴァ
タウス・マハチェヴァは1983年モスクワ生まれのアーティスト。そのルーツはロシア連邦の西南に位置するコーカサス地方のダゲスタン共和国にある。本展では、国や地域を「想像の共同体」として成立させうる大文字の歴史を、批評精神とユーモア、空想によってとらえ直しながら、自身と家族の歴史を形作ろうと探究する作品や、文化や芸術作品、歴史的遺物を独自の手法で扱う作品が展示される。 展示室の中央に置かれた山の彫刻は、ダゲスタン共和国にある山を模したもの。よく見ると山頂を一周する環状道路が見える。本作《リングロード》(2018)は、この道路の建設プロジェクトを実施することができた者が、彫刻作品を手に入れられるという作品。しかしこの事業の実現は、費用やプロセスの面でほとんど不可能に近い。つまり、無料で差し上げますよというふりをしながら、誰も収集しえないというパラドックスを体現しているのだ。 同展示室にはほかに、空想的な旅行記である《トラベルレポート No.0172931》(2019)、1971年にソチで未来科学者が集まったという架空の会議で提案されたアイデアをもとにアクセサリーを作る《セレンディピティの採掘》(2020)が展示されている。 もうひとつの部屋には、2つの映像と1点の写真が展示されている。これらは互いに関連し合うが、独立した作品でもあるという。 《TSUMIKH(鷹にて)》は、作家の祖父で国民的詩人であるラスール・ ガムザートフに関する記憶をめぐる映像作品。複数のシーンで構成されるが、中心となる流れはこうだ。ダゲスタンの山の上に仮設の展示空間が作られ、そこにガムザートフの様々な彫像が設置されたのち、再び撤去されていく。図書館などの施設にもその名が冠されるほど高名だった祖父には、その姿を模ったいくつもの彫像が存在する。それらはこの展示空間でお互いを見あい、どちらがより本物に似ているか探っているかのようだ。「誰がどのようなかたちで祖父を記憶しているのか」を探究する本作を、作家は「記憶の宮殿、記憶の園」だと表現する。そこにはソ連の国民的詩人の姿と同時に、作家にとっての個人的な祖父の記憶も挿入される。たとえば作家は祖父のお腹を模ったものを身につけ、祖父の姿を自らの身体を通して演じてみせる。 《の娘の娘》も家族にまつわる記憶やアイデンティティを、ミニマリズム彫刻のかたちで表現する作品。吟遊詩人でありイスラム学者であったという曽祖父のブロンズ像を、祖父を模った石工蔵が囲み、その上を母親の肩幅サイズのコンクリートブロックが包み込む。そうして生まれたミニマルな彫刻には、一見わからないが家族の歴史と身体がマトリョーシカのように封じ込められている。 本作の発端には、作家が「ラスール・ ガムザートフの娘の娘」と名指され、ショックを受けたという経験があるそうだ。作家ほど著名な親族がいなくとも、個人としてではなく属性や血筋で自分の存在を判断されてしまうことへの戸惑いや反発は、多くの人が共感するものかもしれない。