元阪神・ランディ・バースはなぜ野球殿堂入りできないのか?
2018年の野球殿堂入りは松井秀喜氏、金本知憲氏、原辰徳氏、そしてアマチュア野球界からは故・瀧正男氏の4人に決まった。殿堂は、野球記者と過去の殿堂入りメンバーの投票によって決められ、有効投票数の75%以上が必要というルールが設けられている。 これは1939年に始まった米殿堂の選考方法に倣ったもので、金本氏は75%の当選基準をわずか2票上回っての当選となったが、元中日の立浪和義氏は、242票(65.8%)、日米で異色のストッパーとして活躍した高津臣吾氏も169票(45.9%)で落選した。 監督、コーチ引退後、6か月以上、現役引退後21年以上を経過した人を対象とするエキスパート表彰では、プレーヤー部門では15年が経過して資格をなくしていた原氏が候補復活2年目に選ばれた。こちらも75%が必要で次点は80票(65・6%)の権藤博氏だった。殿堂入りにふさわしく記録も記憶も残した名選手が、来年度以降の候補として控えているが、オールドファンにとって気になるのは、今回、エキスパート表彰で3位につけた元阪神のランディ・バース氏の動向だろう。 バース氏はプレーヤー表彰の資格を2004年を最後に失ったが、2013年からエキスパート表彰の候補として復活。ここまで2013年は10票、2014年は36票、2015年は43票、2016年は40票、2017年も40票だったが、今年度は57票(46.7%)で初めて40%の壁を越えて大きく票を伸ばした。 殿堂入りまで“あと一歩”のところまで来ているが、この国の野球殿堂は、どうも外国人選手に冷たいらしい。それを「偏見」とまで言いたくないが、過去に殿堂入りした外国人選手は1960年の元巨人のヴィクトル・スタルヒン氏、1994年の元中日などで活躍した与那嶺要氏の二人しかない。スタルヒン氏はロシアから亡命、無国籍で小学校から日本の学校に通っていたし、“ウォーリー”の愛称で親しまれた与那嶺氏は日系2世だから事実上“助っ人”と呼ばれた外国人選手は、まだ誰一人として殿堂入りを果たせていないのである。 来日できなかった松井氏の代理で通知式に出席した父の昌雄さんが「メッセージにもありましたが、日本で半分の10年しかプレーしていない僕が選ばれていいのか、と恐縮していました」と、語っていたが、その逆のパターンの外国人選手には、なぜか光が当たらない。 1959年に創設された日本の野球殿堂とは「日本の野球の発展に大きな貢献をした方々の功績を永久に讃え、顕彰するためのもの」とされている。顕彰とは難しい言葉だが、辞書を引くと、「隠れた功績・善行などを称えて広く世間に知らせること」とある。 だが、これらはあくまでも概念であり殿堂入りにハッキリとしたガイドラインはない。プレーヤー表彰は、“暗黙のガイドライン”として、野手ならば2000本安打、500本塁打が目安とされているが、2008年に制定されたエキスパート部門は、過去に殿堂入りから漏れた功労者の掘り起こしと、監督、コーチとしてプロ野球の発展に大きな貢献をした人を対象としているため、さらにどちらに重きを置くかが曖昧になっている。