元阪神・ランディ・バースはなぜ野球殿堂入りできないのか?
ここ10年の殿堂入りの野手は、プレーヤー表彰が7人(若松勉氏、落合博満氏、秋山幸二氏、古田敦也氏、伊東勤氏、松井氏、金本氏)でエキスパート表彰が4人(故・青田昇氏、故・江藤慎一氏、故・榎本喜八氏、原氏)。そのうち青田氏、伊東氏、原氏は、2000本安打、500本塁打をクリアしていない。だが、青田氏は、本塁打王5回、首位打者1回、打点王2回と時代を席巻した打者で、引退後は名コーチとして後進を育てた。伊東氏も、走攻守の揃った新世代の捕手として歴代3位となる2379試合に出場している傑出した才能に加え、西武、ロッテで監督を務め、西武時代にはリーグ制覇、日本一監督となった。原氏は、打点王1回だけのスラッガーで本人曰く「数字も残していないし、たいした打者ではなかった」。だが、巨人の監督として12年間で7度優勝、日本一3度、WBC監督として世界一になった功績が加味されて当選した。 ではバース氏の実績はどうか。 阪神でのプレーは6年間。通算743安打、202本塁打、486打点だが、1985年、1986年と2年連続で3冠王を獲得して1986年の打率.389は、今なお破られないシーズン日本最高打率である。あのイチローでさえオリックス時代に打率.387でバースの記録に届かなかった。 しかも、1985年に日本一となった阪神のクリーンナップを任され、巨人戦でのバース、掛布雅之、岡田彰布の甲子園バックスクリーン3連発は球史に刻まれるインパクトを残した。 それでも、この10年間で殿堂入りした11人の野手の実績と比べると通算記録では大きく見劣りする。しかもバースには引退後の指導者としての功績がまったくない。 バース氏はプレーヤー表彰の資格が失効する最終年には202票を獲得しながらも75%以上を確保できずに選ばれなかったが、当時は、阪神退団時のいざこざや、それに伴う阪神球団代表の自殺の事件などのマイナス要素が足を引っ張り、関西の記者票が伸びなかった。同時に「外国人よりも日本人を優先」。或いは「年功序列の順番待ち」という“忖度”が働いていたのかもしれない。またエキスパート表彰候補となってからは、現役時代の行動に疑問符を投げかける声もあったという。 特にエキスパート部門の投票は、すでに殿堂入りしている約30人と競技者表彰委員会の幹事、野球報道年数30年以上の経験を持つ記者約70人によって行われるため、投票者の顔ぶれの“新陳代謝”が進まず“保守的に票が固定化する”という傾向にある。それを避けるため5人の連名方式が採用され、平均して4人以上の連名投票が守られているというのだが、今のところ価値観の多様性は見られないのだ。 王貞治氏の記録に並ぶ7試合連続本塁打を放ち、阪神ファンの間では「神様、仏様、バース様」と呼ばれるほどの絶大な人気を誇った外国人選手が日本野球界に残した功績の大きさに疑いの余地はない。同じような活躍を日本人選手がしていれば、もっと票は伸びていただろう。