F1の帝王バーニー・エクレストンの秘蔵コレクション69台が放出される !?
F1を現在のF1にまでビジネス的に成功させたのは、フォーミュラ・ワン・グループを率いてきた、バーニー・エクレストン氏であろう。彼の人生について記すには、1冊の本が出来上がるほど“濃い”。 【画像】バーニー・エクレストン氏の秘蔵のマシンが売りに出される!(写真13点) 直近の出来事は、2023年10月に脱税事件で立件され禁固刑17カ月、執行猶予2年が言い渡され、追徴課税と罰金6億5,300万ポンド(約1,240億円)が課された。そんなエクレストン氏、決してお金には困っていない。今年2月の某経済紙の見たてによると、推定23億ポンド(約4,380億円)と言われている… そんなエクレストン氏が、半世紀以上かけて収集した69台の貴重なグランプリカーとF1マシンを手放すという。 「最高の車だけを集めてきた」。現在、94歳のエクレストン氏はそう語る。実際、そのコレクションの内容は圧巻だ。マイク・ホーソン、ニキ・ラウダ、ミハエル・シューマッハーといった伝説的ドライバーが駆ったフェラーリから、エクレストン氏自身をF1の頂点へと押し上げるキッカケを与えたブラバムまで、F1史に燦然と輝く名車の数々が含まれている。 特に注目を集めているのが、ゴードン・マレー設計の「ファンカー」ことブラバム・アルファロメオBT46Bだ。1978年のスウェーデンGPでニキ・ラウダが30秒以上の大差で勝利を収めた後、即座に撤退を余儀なくされた伝説のマシンである。市場に登場するのは、今回が初めてのこと。 また、1951年のフェラーリ375は、アルベルト・アスカリがモンツァで勝利を収めた歴史的マシンで、現存する2台のうちの1台。フェラーリによる2年間の入念なレストア直後という完璧なタイミングでの出品となる。 なぜ今、売却を決意したのか? 「すべての車を愛している」とエクレストン氏は語る。「しかし、私がいなくなった時のことを考え始める時期が来た。妻に負担をかけたくない。これらの芸術品ともいえる車たちの行く先を、私の目で確かめておきたい」とも。(なお、エクレストン夫人は49歳下で、2012年にブラジル・グランプリのマーケティングを担当していた) エクレストン氏の秘蔵コレクションの売却を託されたのは、イギリスのクラシックカー業界で著名な中古車販売店「トム・ハートレー・ジュニア」を営む、トム・ハートレー・ジュニア氏。 「間違いなく世界で最も重要なレースカーコレクションです。このような機会は二度と訪れないでしょう」と、その歴史的意義を強調する。 コレクションには、1949年のマセラティ4CLT/48のように、F1初年度の1950年に開催された記念すべき第1戦(イギリスGP)に参戦した車両も含まれる。また、1957年のフェラーリ・ディーノ246は、マイク・ホーソンの1958年チャンピオン獲得車という輝かしい歴史を持つ。 価格は明らかにされていないが、その歴史的価値は計り知れない。F1の黄金期を支えた名車たちは、今後どのようなコレクターの手に渡るのだろうか。 「私と同じように大切な芸術品として扱ってくれる新しいオーナーに託したい」とエクレストン氏は願いを込める。モータースポーツ史上最大級のコレクション売却は、F1の歴史そのものが市場に出る瞬間と言えるだろう。 これほどのコレクションは、どこにも存在しない。“バラ売り”されてしまうくらいなら、どこぞの大富豪がコレクションを引き取り、博物館を作ればいいのに…、と思ってしまう。 文:古賀貴司(自動車王国) 写真:Octane UK Words: Takashi KOGA (carkingdom) Photography: Octane UK 以下が主なコレクションの詳細: 1949年 フェラーリ・シンウォール・スペシャル 元ドニントン・コレクションの車両で、アルベルト・アスカリとルイジ・キネッティが乗った後、イギリスの実業家トニー・ヴァンダーベルに売却され、ヴァンウォールチームの基礎となった。レッグ・パーネルとホセ・フロイラン・ゴンザレスが当時レースで使用。 1951年 フェラーリ375 4.5リッターV12エンジンを搭載し、シャシー5は1951年のモンツァでのイタリアGPでアルベルト・アスカリを勝利に導いた車両で、現存する2台のオリジナルの1台。フェラーリによる2年間の入念なレストアを経たばかり。 1957年 フェラーリ・ディーノ246 マイク・ホーソンの1958年チャンピオン獲得車で、フィル・ヒル、タフィー・フォン・トリップス、トニー・ブルックス、リッチー・ギンサーもステアリングを握った。フェラーリ・クラシケ認証済みで、オリジナルのシャシー、エンジン、ボディ、ギアボックスを保持。 1975年 ブラバムBT44B 唯一の現存車で、カルロス・ロイテマンが1975年ブラジルGPで勝利を収め、その年のコンストラクターズチャンピオンシップで2位を獲得に貢献。 1978年 ブラバムBT45C 魅力的なアルファロメオ・フラット12エンジンを導入し、ニキ・ラウダをブラバムに導いたモデル。 1978年 ブラバムBT46B 'ファンカー' 1度だけ参戦し、1度だけ勝利(1978年スウェーデンGPでラウダが)した後、「撤退」。今まで一度も売りに出されておらず、走行可能な状態に保たれているそうだ。 1983年 ブラバムBT52B ネルソン・ピケがシャシー5で2度目のドライバーズタイトルを獲得。製作されたわずか2台のBT52Bの1台で、複数のGP優勝歴を持つ。また、1983年シーズン終了時にポール・リカールでアイルトン・セナが同車にてテストを行った。 1957年 ヴァンウォールF1 スターリング・モスが1958年のオランダ、ポルトガル、モロッコで勝利を収め、ヴァンウォールの歴史的な1958年コンストラクターズタイトル獲得に貢献。 1954年 BRM P30 V16 シャシー2/02は、魅力的なイギリス人ピーター・コリンズの元マシンで、最後に製作されたBRM V16で、現存する2台のMkIIの1台。 1949年 マセラティ4CLT/48 最初のF1選手権レース(1950年シルバーストンでのイギリスGP)に参戦した車両で、偉大なるルイ・シロンに新車で納入された。
古賀貴司 (自動車王国)