クロップ率いるリヴァプールがCL決勝で見せた輝き。ジョーダン・ヘンダーソンが語る「あと一歩の男」との訣別
父を見つけ、抱きしめたとたん、感情があふれた
思いはすべて出したと思っていたのだが、ピッチの反対側に来ると、そこに父が立っていた。まだ出し尽くしてはなかった。これでほんとうに全部だ。チャンピオンズリーグの決勝で勝利を収め、そのすぐあとに父に会えるとは。この勝利は父とともに夢見てきたことだった。 ほかの選手の家族と一緒にピッチの脇に立っていた父のところへ、両手を広げて近づいていった。 きっとこうなるように定められていたのだろう。父がどうしてそこにいたのか、僕がどうしてスタンドのその場所に行ったのかはわからない。父を見つけ、抱きしめたとたん、感情があふれた。チャンピオンズリーグで優勝するという夢を叶えたからだけではなかった。父はこの数年、苦難の連続だった。とても短い期間に、兄弟と姉妹、母親を亡くし、打ちのめされていた。僕にとっても、母と父が別れたときには支えてもらい、いつも会いに行っていた大切な祖母だ。つぎつぎに悲しみに襲われていた父と、いつまでも抱きあった。 宿泊先のユーロスターズ・ホテルに戻ったときは疲れきっていた。チャンピオンズリーグで優勝すれば、高揚感は一晩中続き、跳ねまわり、笑いつづけ、喜びに満ちたパーティが繰り広げられると思うだろう。だが、僕は正反対だった。消耗しきっていた。話しかけられ、祝ってもらっても、意識はほとんどそこになかった。言葉の意味さえわからないほどだった。自分たちがやったことが信じられなかった。 それまで続けてきた、目標を達成し、敬意を勝ち取るための戦いが終わったことが信じられなかった。 ようやく実感が湧いてきたのは、親友のライアン・ロイヤルと会ったときだった。保育園で出会ってから26年間ずっと一緒にいるライアンと、最も偉大なトロフィーの脇に立った。一緒に、チャンピオンズリーグの試合をどれだけテレビ観戦したことだろう。こうしてトロフィーをともにつかんでいるというのは、信じられないことだった。あの晩彼と過ごしたのは、僕にとって大きな意味があることだった。 優勝したあとのこうした感覚は、さほど特別なものではない。ほかの競技の選手が、同じようなことを語っているのを聞いたことがある。あまりに長く何かを追い求めていると、いざそれを手に入れたとき、かえって不安に駆られることがあるのだ。すばらしいことなのに、喪失感を覚える。自分を駆りたててきたものが、ひとつなくなってしまうのだ。人生のすべてだった探求が終わってしまう。それは、自分でもどうにもならない。トロフィーを勝ち取ったあとの日々には、感情が涸れてしまうような――ほとんど二日酔いのような――状態になるものなのだ。 いつまでも祝福されていたいと願うが、それはつぎに、いつやってくるかわからない。