じつは「戦果」が目的ではなかった…「特攻」を強行した大西瀧治郎中将の意外な「真意」
大西中将から上野中将へのメッセージ
もしかすると、上野中将は、特攻に対し、否定的な考えを持っているのかもしれない(じっさい、上野中将はマニラに飛び、大西中将に「特攻は士気の低下を招く悪手である」と直訴したが聞き入れられなかったという)。であるならば、いまの話は、大西中将から上野中将に対する伝言を、小田原参謀長が教え子に語りかける形で伝えようとしたのではないか、と角田は思った。 話はそれから雑談になったが、上野中将は最後まで無言のままだった。宴がお開きになったときには夜11時をまわっていた。南洋の島だが、夜の空気は冷たく、飛行服を着ていても寒いぐらいだった。 搭乗員3人だけになると、辻口一飛曹が、話の内容を理解したらしく、 「分隊士(角田の職名)、ではあと半年生きていれば助かりますね」 と目を輝かせた。 「もう重油、ガソリンが、あと半年分しか残っていない。飛行機を作る材料のアルミニウムもあと半年分しかない」 と聞いて、辻口の心に生への望みが芽ばえたようであった。現に辻口はその後、特攻出撃するたびにエンジン故障を告げて編隊を離れ、不時着して飛行機を壊すことを繰り返して終戦まで生き延びた。不時着で命を落とすことも多いが、これは辻口なりの、命を懸けた生への戦いだったのだろう。
下を指差して突っ込む合図
鈴村二飛曹は、中将や大佐との宴席という、軍隊では通常ありえない事態に緊張し、どうも上の空で話を聞いていたらしく、様子は話の前と後とで全く変わらない。 角田は、予科練習生のとき、上官の訓示を一語一句間違えずに記録する訓練を課せられて以来、それが習慣化している。空戦のときも、いつも膝の上の記録板にクリップで数枚の藁半紙をはさんで、状況をメモすることを心がけている。簡単な日記もつけているが、万一、敵手に落ちたときのことを考え、角田自身でないと読めないような符牒を多用する。角田は、いまの小田原参謀長の話を深く心に刻みつけ、寝る前に忘れないうちにとメモ用紙に書き付けた。 角田少尉、辻口一飛曹、鈴村二飛曹の3機は、ダバオ基地から数次の出撃を繰り返したが、いずれも突入の機会を得ず、帰投してきた。 あるとき、敵戦艦群を発見、猛烈な対空砲火を浴びたことがあり、鈴村二飛曹はスッと前に出てきて角田機の横に並ぶと、下を指差して突っ込む合図をしてきた。 「が、そのときの爆装機は、250キロ爆弾を積めないようなおんぼろの一号戦(零戦二一型)で、搭載していたのは敵輸送船に向けての小さな60キロ爆弾2発。これでは戦艦にぶつかってもへこみもしないだろうと思ってやめさせました。私の顔色ひとつ見誤っても突っ込んでいきそうで、ひやひやしました。さまざまな場面で、鈴村の豪胆さには驚かされることが多かったですね」