じつは「戦果」が目的ではなかった…「特攻」を強行した大西瀧治郎中将の意外な「真意」
貴様のような馬鹿がいるから
マバラカットに帰った翌日、角田は、予科練の同期で親友の浜田徳夫少尉と偶然再会した。顔を見るなり、浜田は角田に、 「ツノ、貴様、神風刀をもらっているな!顔を見ればわかる。そんなもの返してこい。貴様1人で行けないなら俺が話してやる。司令、飛行長じゃ駄目だ。直接、司令官に返してくるのだ」 とまくし立てた。「神風刀」とはこの頃、特攻編成された搭乗員に授与されていた白鞘の短刀のことである。角田は、 「これは講和のための最後の手段なんだ。俺の部下は全員が志願しているから、彼らと別れることはできない」 と応じる。小田原参謀長に聞いた「特攻の真意」を話せばわかってくれるかと思ったが、指揮所にはほかにも人がいるのでこれ以上のことは言えなかった。 「われわれは勝つと信ずればこそ、いままで一生懸命戦ってきたんだ。負けるとわかったなら潔く降伏すべきだ。そうして開戦の責任者は全員、腹を切って責任をとるべきだ。こんなことをしていれば講和の時期は延びるばかりで、犠牲はますます多くなる。貴様のような馬鹿がいるから搭乗員も志願するようになるのだ」
米軍の次の狙い
浜田はまくしたて、結局、喧嘩別れに終わってしまう。その浜田はのちに、沖縄沖の航空戦で戦死する。 角田と浜田のやりとりを横で聞いていた一期後輩の艦爆搭乗員・茂木利夫少尉が、 「どうなることかと思っていましたが、角さん、よく断ってくれましたねえ」 と声をかけてきた。茂木は、残った2機の彗星のうち1機で、これから敵艦に突っ込むという。茂木は、記録上は2ヵ月前の10月27日、忠勇隊で山田恭司大尉とともに戦死したことになっているが、角田が会ったのは12月28日だった。 一方的に日本側の敗勢に推移してきた昭和19年も、まもなく暮れようとしている。レイテ島をほぼ手中におさめた米軍は、さらに次の作戦に乗り出し、12月15日にはルソン島のすぐ南に位置するミンドロ島南部、サンホセに上陸を開始した。 ミンドロ島の次に米軍が狙うのは、マニラ奪還であることは疑いようがなかった。12月に入ってつぎつぎに飛んできた内地からの増援部隊を加えた特攻隊は、マバラカット、セブ、バタンガス(マニラ南方)の各基地から、敵上陸部隊に向けてなおも連日のように出撃を続けていた。(続く)
神立 尚紀(カメラマン・ノンフィクション作家)