おじさんホイホイ!昭和50年代の名車5選 スポーツカー編
昭和50年代(1975年~1984年まで)の日本は、経済が順調に成長し、安定した基盤を築いた時代でした。 Be-1、パオ、フィガロ、ラシーンほか、日産パイクカーを振り返る。いまいくら? 自動車産業においても、技術が進化したことで世界的に競争力のある高性能車や、時代を反映した省エネルギーな車が続々とリリースされ、活気づいた時代。そんな昭和50年代のスポーツカーをいくつか振り返りましょう。
■サバンナRX-7(初代・SA22C)
昭和のスポーツカーときいて、真っ先に思い浮かぶのは、マツダ「RX-7」でしょう。初代モデル(SA22C)が登場した昭和53年(1978年)当時は、第1次、第2次オイルショックによって原油が値上がりしたほか、厳しい排ガス規制が求められ、大パワーで燃費の悪いスポーツカーにとっては逆風の時代。 そんななかに登場した、初代RX-7は、軽量小型なロータリーエンジンのメリットを生かし、低く構えたボンネットとリトラクタブルヘッドライトを組み合わせ、スタイリッシュなウェッジシェイプデザインによってクルマ好きを虜にしました。 もちろん見た目だけでなく、12A型ロータリーエンジンの軽やかな吹け上がりや、理想的な前後重量配分がもたらす優れたハンドリング性能も魅力となりました。クルマを取り巻く環境が厳しくなっていた時代において、きらりと光るモデルでした。
■トヨタ カローラ レビン/スプリンター トレノ(AE86)
次に取り上げたいのは、クルマ好きならずとも知っている人の多い、「ハチロク」ことAE86型レビン/トレノです。 実はハチロクも、初代RX-7同様に、デビューは昭和58年(1983年)。1980年代に入るとクルマの高性能化が進み、スポーツカーにとっては過給器によるパワーアップが進んでいきましたが、ハチロクはあえて1.6Lの自然吸気エンジンを搭載。シャシーも基本的には先代モデルと同じものを採用していました。 その目的は軽量化。軽量ボディによる走りの軽快さに加え、FRレイアウトならではのハンドリングの良さと、4A-GEUエンジンの軽快なレスポンス、チューニングパーツの豊富さから、走り好きな若者に絶大な人気を得ました。 その後、1995年から週刊ヤングマガジンで連載が始まった大人気漫画「頭文字D」の主人公が乗るモデルとして採用されたことで、「ハチロク」の名は当時を知らない若い世代にも知名度が高く、2012年には「86(ハチロク)」という車名のFRスポーツカーが登場したのはご存知の通り。 スポーツカーの性能に大切なのは「とにかく軽さ」だということを教えてくれたハチロクは、様々な要素によって伝説のモデルとなった、非常に希有な一台といえるでしょう。