【このバーンファインディング300SLなんぼ?】わずか29台製造の軽合金バージョン 希少なメルセデス300 SLの価格は?絶句・・・
製造されたのは29台
特別モデルはわずか1年で生産終了となり、29台が生産された(1955年に24台、1956年に5台)。現在では、コレクターの間で最も人気のあるモデルであり、“普通”の「300SL」の3倍の価格で取引されることも珍しくない。
この希少な「300SLアロイ」の1台が、オークションハウス「RM Sotheby’s」の「The Junkyard: The Rudi Klein Collection」でオークションにかけられた。簡単に説明すると、ルディ クラインは1950年代後半に北米に移住したドイツ移民だ。当初は肉屋としてキャリアをスタートさせたが、ほどなくヨーロッパのクラシックカーの解体や売買で、より利益を得られることに気づき、1967年に「ポルシェ フォーリン オート」を設立した。 その後、数十年にわたり、クライン氏はロサンゼルス郊外のスクラップ置き場を経営しながら、史上最も重要なコレクターズカーの数々をひっそりと収集していた。「クラインコレクション」は一般公開されていなかったため、その内容は多くの憶測を呼び、ごく限られた人々しか立ち入ることができない伝説的な場所となった。
1956年1月の納品
クラインの死後20年以上が経過した今、これらの車両が初めて一般公開される。注目すべき車両のひとつは、シャシー番号198.043.5500872のこの「メルセデス300SL」だ。この車両はクラインが約50年間所有していたもので、その歴史は完全に記録されている。
この「300SLアロイ」は、1956年に完成した最初の軽合金モデルであり、全体では26番目のモデルだった。注目すべきは、このモデルが特別なブラックカラーで唯一のものであったことだ。これはデータカードにも記載されている。 1956年1月16日、この車はウンターテュルクハイムの工場を出発し、イタリアのディーラー「Saporiti」を経由してレーシングドライバーのルイジ キネッティに届けられた。イタリア系アメリカ人の彼は、1949年にフェラーリでル・マン24時間レースを制し、その結果、北米におけるフェラーリの公式輸入代理店となり、また現在でも知られている「N.A.R.T.レーシングチーム」を設立した。噂によると、キネッティは当時所有していたフェラーリと比較するために「300SL」を購入したと言われている。 購入後まもなく、米国に輸入し、約20年間コレクションとして所有していた。その間のある時点で、キネッティはこの珍しいガルウィングをシルバーにペイントすることを決めたものの、それ以外はオリジナルの状態のままに保管し続けた。
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