「お前らは犬を飼うなと言われているようで嫌だった」貧しい家庭で育ったパックンが、自身の経験から考える貧困支援のあり方
――犬を飼うのは個人の自由なのに、「貧困者だから」と権利を制約されているようで嫌ですね。 パックン: うちはポピーという名前の犬を飼っていたんですけど、僕にとってはポピーが心の拠りどころになっていました。お母さんが夜遅くまで仕事がある日は、僕は1人で家に帰って、1人で夜ご飯を作って、1人で勉強して1人で寝るっていうことも多くて。でもポピーがいてくれるから、寂しくなくなったんです。家に帰れば歓迎して出迎えてくれるし、一緒に遊んでくれる。すごくいい仲間のような存在でした。なのに「お前らは犬を飼うな」と言われているような気がして嫌でしたね。 フードスタンプって、貧困家庭を対等な存在として扱っていないことを象徴する制度だと思うんです。フードスタンプじゃ教材や鉛筆も買えないし、バス代にもあてられない。その人にとっては、食料のほかにもっと必要なものがあるかもしれないのに。自分にとって、ポピーが必要な存在だったようにね。 現金を渡さないのは、たとえばギャンブルとか、生活に必要ないことに使わせないようにするためなんです。もちろんその可能性はありますけど、「本人の判断には任せられない」というのは、低所得者をばかにした見方だと思います。 ――日本において、貧困家庭に対する支援をどのようにすすめていくべきだと思いますか。 パックン: 海外に成功例もありますので、それを参考にして日本にも導入すればいいと思うんです。ただ、固定観念が邪魔になって、本当に必要な支援ができていないケースもあります。 たとえば、アメリカの場合は「現金を配ると働かなくなる、甘やかすんじゃない」という声が多く上がるんです。でも僕はそうは思いません。住所がないと就職できないケースも多いですが、現金を支給すればちゃんと家賃が払えて、ホームレスから抜け出すことができて、よりいい仕事に就くことができるかもしれない。経済的に自立できる人が増えれば、結果として税収が増えるので、リターンのほうが大きいと思います。 ――日本では「貧困は自己責任」という声を耳にすることもあります。 パックン: 「義務教育をきちんと受けた上で今生活ができていないなら、それは自己責任だ」という声は少なくないですよね。でも、貧困の爪痕は、大人になってからも引きずるものなんです。今日食べるものがないようなギリギリの生活をしている人は、常にそのことで頭がいっぱいで、ほかのことを考える余裕がない。20代、30代になっても負の連鎖から抜け出せない方はたくさんいます。 現金給付は、貧困から抜け出す出口まで案内するための一時金のようなものです。貧困者を貧困から脱出させるのは社会の責任で、そこから先は自己責任、自分の能力で勝負する、という考え方のほうがいいんじゃないかなと。実力主義というなら、みんなが実力が発揮できる状態にまずしてあげよう、それがフェアなやり方なんじゃないかと、僕は思うんです。