陰謀論と生成AIの時代──情報の真正性を見極める方法を美術史家の視点から考察
誰もがフェイク画像を作れる時代の「信頼性の危機」
キャサリン妃の事件が重要な意味を持つのは、写真が加工されていたからではない。そもそも有名人の肖像は大昔から修正されるのが常で、皇帝の姿を理想化した彫刻からカーダシアン家が投稿してきたヘタクソな加工写真まで、その例は枚挙にいとまがない。また、キャサリン妃の事情を考えれば、あのような形で秘密を守ろうとしたのは理解できると同情することもできる。 しかし、この事件はそうしたこととは別の次元で、社会の大きな変化を示唆している。誰もがAIで簡単に画像を生成できるようになった今、私たちはこれまでにないほどの不信感をあらゆる画像に対して持つようになった。そして、人を欺く画像そのものよりもはるかに危険なのが、現在私たちが直面している「信頼性の危機」だ。それと並行するように、「信頼できる情報源」について人々の間にあったコンセンサスも揺らいでいる。このコンセンサスこそが、建設的なコミュニケーションと誠意ある議論の基礎となるのだが、インターネット上に溢れる偽情報が、人々が議論するための基礎を蝕む深刻なシニシズムを生んでいる。 もちろん、健全な懐疑は必要だし、現代において無邪気に情報を鵜呑みにしてしまうのは危険だ。それに、画像が人を欺くのは、それが生成されたり加工されたりした場合だけではない。キャプションに偽の情報を記したり、意図的に情報を省略したり切り取ったりすることでも人を騙すことはできる。 問題は懐疑主義や、誰もが簡単にフェイク画像を作成し、流布できることだけではない。誰もがあらゆることを疑う根拠ができてしまったことが最大の問題なのだ。言い換えれば、誰もが自分が信じたい画像を信じ、信じたくない画像を信じない自由を手にしてしまった。自分の先入観と合わないというだけで画像を無視することもできるし、フェイク画像だという確証がなくても、その可能性があるだけでそれを疑っていいことにもなる。 こうした状況においては、全ての人が世の中に流通する1つひとつの画像の信憑性を見定めようとするようになる。そして、その反作用として反ワクチン運動や大統領選挙の不正疑惑を生んだ陰謀論がますます勢いを増す。そんな世の中にあっては、疑心暗鬼がみんなのデフォルトの態度になるだけではない。誰もが自由に使えるアルゴリズムツール(つまりグーグル)があればアルゴリズムを逆行分析できるので、真実を知るにはそれさえあれば事足りる、という考えが蔓延するようにもなる。