“働きたくない”女子大生が元手10万円から億万長者に 自宅は4つも…年間10か月はホテル暮らし「投資家は暇」
アベノミクスの効果もあって投資資産は順調に拡大 法律事務所秘書の勤務経験も
「魔法使いになりたい」。それが、人生で最初に認識した夢だった。次第にクレジットカードに興味を持ち、欲しいものがカード1つでなんでも手に入ることから「現代ではもしかしたら、お金持ちが魔法使いに一番近い存在なのかも?」と仮定。慶応大2年次、20歳の時にたった10万円で投資を始めたところから、豊かな人生への道が開けていった。30代半ばながら資産総額は文字通り“桁違い”。「職業お金持ち」と呼ばれるビリオネア女性の型破りな人生に迫った。(取材・文=吉原知也) 【写真】慶大卒の元秘書、胸元ざっくりなミニ丈コーデのリラックス姿 待ち合わせた都内高級ホテルのラウンジに姿を見せたのは、泉あすかさん。香港帰りで3日後からは韓国、来月はヨーロッパとモルディブを訪れる予定が入っており、「おいしいものが大好きで、この国のあのレストランに行きたい! から旅行の計画を立てることも多いですね」。美食を目的に日本中のみならず世界各国を飛び回っているというから驚きだ。 医師の父と専業主婦の母のもとに生まれ、3人姉妹の真ん中として育った。5歳から7歳まで米国で過ごし、“お金”には物心ついた時から関心を強く持っていた。思春期には友人たちと真剣に結婚相手を妄想し、「地主の嫁か、石油王の第5婦人になる」と結論付けていた。 大学2年生の終わりかけに、軽い気持ちでやってみたのが「投資」だ。成人を迎え、いよいよ「お金持ちになろう」と始めたのだが、投資を選んだのは「消去法」だったという。 「医者や弁護士といった士業、勤めるとしたら大手企業か外資系の銀行やコンサル。お給料がいいことを第一条件に絞ってあれこれ考えました。でも、私ってもともと“働く意欲”が欠落しているんですね。激務・薄給は論外、働き詰めは嫌。じゃあ稼いでくれる旦那さまを見つけたとしても、相手が激務だったら人生を楽しめない。玉のこしもなんか違うなって。そんな折に『普通の主婦が投資で4億円を稼いだ』という話題がはやっていて、働きたくないという意味では投資はピッタリに感じました。『普通の主婦が4億円稼げるなら、普通の学生でも2億円ぐらいは稼げるでしょう』と、出来心のように思ったんです」 若さも手伝ってずいぶんと楽天的だったようだが、外国為替証拠金取引(FX)からスタート。これが運命を導いた。「ビギナーズラックもあったのか、始めて2週間でお金が3倍近くになり、それがある日、起きたらひと晩でゼロになりました。お金って簡単になくなるんだなと衝撃を受けました。私がラッキーだったのはこの順番で、お金が増えたのが『先』だったんですよね。お金が実際に増えたのを見たから、ちゃんと続けていけば本当にもうかるのかも、という気持ちになれました」。学生時代は平均して月に5万円ほどの利益で、バイト代に毛が生えた程度の感覚だった。 大学卒業後は、丸の内エリアにある大手法律事務所の秘書として勤務。初任給の額面は22万円だった。労働意欲は低いながらも、就職活動の時点で「お化粧室がきれい、サービス残業なし、通勤定期の範囲内で恵比寿や六本木、銀座にも遊びに行ける」など自分の条件に合っており、ノーストレスで楽しく働いていた。就職して入金力が上がったことに加えてアベノミクスの効果もあり、投資の資産も順調に拡大していった。 資産が3000万円に達した時、改めてどう生きていきたいのかを考え、スパっとリタイアを決断。既に投資経験も5年ほどでコツをつかめていたこともあり、「3000万円から1億円はあっという間でした」と、25歳で億万長者の仲間入りを果たした。 現在は、株式投資をメインに、株価指数先物取引、海外不動産、暗号通貨などをバランスよく運用している。投資家同士の情報交換を重ね、試して得られた経験と知識を基に、すべて自分で差配。それでも、「投資が好きなのではなく、お金を使って新しいことやすてきな体験に替えることが好きなんです。そのために必要だから稼いでいるだけで」。デイトレーダーのようにパソコンとにらめっこしたり、スマホを開いて運用チャートを小まめにチェックしたりはしない。何より大事にしているのは、好きな人・美食・豊かな体験がそろう幸福時間だ。「チャートをずっと見ている必要はないです。私はお金の自由とともに時間の自由も手にしたかったので、投資に時間をとられてはむしろ本末転倒になってしまうんです」。現在は個人の投資を続ける傍ら投資コミュニティーを運営し、資産構築・運用のノウハウを伝えている。