妻との「永遠の別れ」 男性がやがて現実を受け入れるまで 「悲しいけれど」妻のいない人生を考えていく
とはいえ、すぐには難しいとしても、少しずつ目の前の現実を受けとめていかなくてはなりません。 もちろん、つらい現実を認めることはなかなかできることではありません。長い時間が必要であったり、何年たっても認められなかったりする可能性もあります。 死という絶対的な力の前に人間は為すすべなく、無力であるといわざるをえません。 私たちはもはやその現実を覆すことはできないのです。 いくら渇望しても、亡き人は戻ってきません。
しかし、死の現実を変えることはできないとしても、その死をどう受けとめ、その後の人生をどのように生きていくかは、自分で選び取ることができるのではないでしょうか。 ■妻のいない人生を考えていく 大切な人の死によって失ったものと失っていないもの、自分の力で変えられるものと変えられないものがあるはずです。 まずは「自分にできること」と「できないこと」を区別してみましょう。そして、「できないこと」をやめること、あるいは人間の力ではどうしようもないことがあるという事実を認めて、「自分にできること」を考えてみましょう。
死は変えることのできない現実です。その現実をすぐには受けとめられないとしても、今の自分にできることに取り組み、主体的に生きることが大切だと思います。 先ほどの60代の男性は、こう話されていました。 「妻がいない人生なんて考えたことがなかった。だから、これからひとりでどう生きていくかを考えるには、少し時間が必要なんだ。 定年退職したらふたりで行ってみたいねって約束した場所がたくさんあったんだよ。しばらくはそれらの場所をまわりながら、これからの人生を考えてみようと思うんだ」
そう話される目は寂しげでしたが、少し輝いてもいました。 「まずどちらに行かれるんですか?」と尋ねると、「新婚旅行で行った指宿(いぶすき)温泉だね」と答えてくれました。 できることを模索していくなかで、気持ちに変化が生じ、新たな希望が芽生えることもあります。 亡き人がいない毎日を生きていく覚悟ができるようになる人もいれば、なかなかできない人もいます。 悲しみは乗り越えるものではなく、自分が生きているかぎり抱えていくものだと感じるようになるかもしれません。