【ドラマ座談会】生方美久&吉田恵里香の共通点は? 宮藤官九郎ら脚本家のいまを考える
野木亜紀子と吉田恵里香の共通点
ーー吉田恵里香さんの『虎に翼』はいま世間で大絶賛されています。様々な題材の資料を丁寧に調べて、うまく調理するのが上手な人だから朝ドラもできると思うのですが、皆さんはどう観ていますか? 田幸:『虎に翼』は第1章の終わりまで(戦後、日本国憲法が改訂されたのを寅子が河原で読む)は最高傑作だと思った人が多いと思うんです。それ以降、主人公が年齢を重ね、力を持ち、権威の側に立ったことで、主人公の好感度がだだ下がりに(笑)。ヒロインではない周りの人たちが正論を言い、本来のヒロインの役割を担う一方、ヒロインが中堅~出がらしに向かうターンで無意識に次世代や子どもに対する加害側になっているところもこれまでの多くの朝ドラと異なります。 木俣:吉田さんはまとめる技術の高い方だと思います。法曹の世界のディテールは監修で入っている明治大学の方の知見、歴史的事件に関しては取材で入っているNHKの解説委員の清永聡さんが、著書『家庭裁判所物語』『三淵嘉子と家庭裁判所』であらかじめ書かれているところや、そのほかの取材データからのチョイスと構成はうまい。でも、それ以外の法律の仕事場の様子や日常生活のディテールに手が回っていないような気がします。田幸さんが『海のはじまり』で指摘した物足りなさのようなものがある。『カーネーション』(2011年度後期)の渡辺あやさんの社会と日常生活の関わりの描き方と比べるのは酷とは思いますが。 田幸:私ももっと掘ってくれと思うところは正直ありますが、『虎に翼』は問題提起をいろいろしてくれて素晴らしいと感じています。朝ドラという長丁場をおそれず、半年ものドラマでどれだけ描けるかという意気込みが強いことも頼もしい。 木俣:先日、脚本開発チームWDRプロジェクトの取材をしたとき、共同脚本とひとり作家の違いという話で、一人の作家は縦に深く物事を掘り下げていて、共同脚本は複数の作家は横に手をつないで広げていくみたいな話になり、吉田さんはひとりだけれど、たくさんの要素を繋いでいく作風のようにいまは見えます。 成馬:『海のはじまり』や『虎に翼』に感じるCM的な世界って、小説でいうと村上春樹に対して多くの人が感じていたことだと思うんですよね。春樹の描く世界は日常を描いていてもどこか抽象的で、ジャズを聴きながらパスタを作る姿をおしゃれに描くみたいな。男が手際CM的な世界ですよね。一方で村上龍は固有名詞を多用して猥雑で生々しい世界を描こうとしていて、80年代はW村上とか言われて双璧でしたが、現在、国内外の評価で大勝ちしてるのは圧倒的に春樹ですよね。現在、村上龍的な世界をドラマで描いているのは宮藤官九郎さんだと思うのですが、そちらはどんどん分が悪くなっている。 木俣:勝ち負けでくくりたくないですが(笑)、独自のディテールをどれだけ積み重ねるか、その速度と熱の密度が要らない世界になってきているのは認めます。宮藤さんは『新宿野戦病院』(フジテレビ系)でトー横キッズの女の子が病院に搬送されて彼女の治療に必要な情報を友達に聞こうとすると、ハイチュウ青りんごが好き、御赤飯が嫌いで、推しがメンヘラなど聞いた側にとってはどうでもいいことを答えるのだけれど、当人たちにはどうでもいいことではないというようなことが大事だということを描いています。みんなが等しく興味あるものではなく、偏愛の領域を描くことは大事だと私は思います。 田幸:吉田さんはドラマガイドのインタビューなどで、メッセージ性とエンタメと両輪で行くことを諦めないとおっしゃっていて。おそらく、書こうと思うものが多すぎるのでしょう。『らんまん』(2023年度前期)の長田育恵さんも描きたいことがとてもたくさんある作家で、縦軸、横軸と同時に並行させて中だるみも尻すぼみもなく、最終的に見事にまとめ上げました。『らんまん』は朝ドラの中でも最高傑作のひとつだと私は思っています。長田さんや吉田さんのように描きたいことに溢れた脚本家さんが続々出てきていることは喜ばしいですよね。そのため、もはやなんとなくふわっと朝ドラを描くこと、物語をヒロイン至上主義の単線で描くこと、描きたいことが少ししかない人が半年間雰囲気でもたせることは許されなくなってきている感はありますけれど(笑)。 成馬:情報量の多さが吉田さんの作家性に起因するものなのか、いまの朝ドラに最適化した結果、イシューをどれだけ詰め込めるかという勝負をやっているのかがよくわからないんですよね。もちろん、性的マイノリティやフェミニズム思想の描き方も本人の内側から出てきたものだとは思うのですが、一方で時代のトレンドを読んで入れてるのかなぁとも感じて。それは決して悪いことではなくて、時代の空気や社会的テーマを入れることで作品のクオリティを高めていくことは、海外ドラマでは当たり前にやられていたことで、むしろ日本では長い間、社会的テーマを入れることに対する抵抗意識が強すぎた。それが、野木亜紀子さんの『逃げるは恥だが役に立つ』(2016年/TBS系)あたりから流れが変わって、今はむしろどれだけ社会性のあるテーマを盛り込めるかが作品の評価と直結している。『虎に翼』はその流れの最終兵器みたいなインパクトがある。 田幸:たくさんの方々の要望を取り入れることを吉田さんが受けて立った、その覚悟はすごいことです。 成馬:原爆裁判も取り入れて、これまで朝ドラでやったことのないことをやっているのは、おそらく吉田さんだけの意向ではないでしょうね。いまのドラマがどれだけ社会性のある現代的なテーマを盛り込めるかという勝負になっている中での最適解だと思います。、逆に、個人の作家性が執筆の動機にあって自分を救うために物語を書いているような北川悦吏子さんのような脚本家は、今は書き辛い時代なのかなぁと感じます。 木俣:田幸さんが先ほど、ヒロインが悪者になっていると指摘されましたが、作家がヒロインに自分を投影しないで客観的に書いているからこそ成立する物語なのかもしれないですね。 成馬:『虎に翼』で描かれている怒りって吉田さん個人が抱えている怒りではなく、社会的な怒りに見えるんですよね。だから田幸さんが言うように、いろんな人の思いを引き受けて社会を変えようという気迫はすごく感じる。一方で、安達奈緒子さんの作品が僕はずっと大好きなんですが、彼女も社会的なテーマを扱っている作品が多いのですが、、最終的に他人とは共有できないすごく個人的な怒りや悲しみが滲み出ちゃうんですよね。だから視聴者から「よくわからない」と言われることが多いのですが、その共有できない断絶があることが僕は好きなんですよね。そこに彼女の抱える作家性を感じる。 木俣:それが安達さんの『おかえりモネ』(2021年度前期)と『虎に翼』の違いなのかもしれないですね。 田幸:ただ、吉田さんの初期作であるアニメの『TIGER&BUNNY』(2011、2022年/シリーズ構成の西田征史との共同脚本名義)を観ると、ビックリするぐらい『虎に翼』なんですよ。差別に対する憤りみたいなものをずっと抱えてきた作家なのだとは思います。このテーマは吉田さんのライフワークみたいになっていくのではないでしょうか。 木俣:“差別”や“透明化”というテーマは、マイノリティに限らず、誰もが日常で、自分の意見や希望が無視されたり自分が誰かに選択されなかったりした苦い経験にも通じる気がします。 成馬:その消す側は、必ずしも絶対的な権力者だけじゃないですよね。リベラルな人たちが消しているものもいっぱいあるわけで、こういうものに対する怒りを感じることも時々ありますよ。それは寅子が偉くなった時に、無自覚なまま加害者になってしまう新潟編の前後によく表れている。個人的にはあのあたりから寅子のことが好きになりましたね。あれは完全に中年男性の悩みで、年取って偉くなると男も女もおじさんになるんだ、という発見がありました。 木俣:だからこそ『虎に翼』が刺さる人は多いのかもしれません。あるいは、吉田さんがラジオ番組で、CLAMPさんの漫画を好きで読んで、現実ではマイノリティとされている人たちが当たり前に存在していることに馴染んでいた、というようなことを発言されていたので、そういう感覚なのか。 成馬:野木亜紀子さんや吉田恵里香さんみたいな社会性を引き受けている作家が今後は主流になってくと思うんですよね。逆に個人的な動機で書いてる人はどんどん厳しくなっていくと思います。 木俣:10年後くらいにはまた反転して個人の思い入れの大事なドラマが人気になってほしい。