ティモンディ高岸「僕はポジティブではない」自分を追い込みすぎてイップスになった過去 #今つらいあなたへ
全ての人を応援するという独自のスタイルで活躍するお笑いコンビ・ティモンディの高岸宏行さん。高岸さんは相方の前田裕太さんとともに、高校時代は名門・済美高校野球部で投手としてプレーした経歴を持つ。野球でも、お笑いでも成功をつかみ、順風満帆な人生を歩んでいるように思える高岸さんだが、「みんなには敵わないという思いが根本にはある」と語る。テレビで見せる印象とは少し違う、過去の“大きな挫折”から高岸宏行というお笑い芸人が生まれた、その背景に迫る。(ラブすぽ/Yahoo!ニュース Voice)
大学時代に高岸さんを襲った“イップス”
――テレビで見る姿はいつも前向きな高岸さんですが、過去に落ち込んだり、立ち直れないと思った経験はあるのでしょうか。 ティモンディ高岸: 思いつくのは高校3年生の夏、甲子園をかけた愛媛大会の決勝戦でサヨナラ負けをした瞬間。それと、大学時代に野球ができなくなった瞬間の二つです。特に大学で野球を諦めなければいけなくなったときは、自分の中でも野球が楽しくない、嫌いになってしまいそうなくらい落ち込みました。 ――夢だったプロ野球選手を諦めた理由は、肘の怪我が原因と伺いました。 ティモンディ高岸: 怪我もあったんですけど、その前から“イップス”という心の病気に悩まされて、ボールを思うように投げられなくなっていました。球速をコントロールして、キャッチボールのような短い距離を投げることができない。そのせいで十分なウォーミングアップができず、いきなり本気で投球練習をするしかない状態でした。当然、肘への負担は大きくなるので、それが積み重なり、結果的にもう投げられない状態になってしまったんです。 ――イップスは心的ストレスなどが原因で、それまでできていた動作ができなくなってしまう症状ですが、原因はなんだったのでしょう? ティモンディ高岸: 僕の場合は、自分で自分を追い込みすぎてしまったことがイップスになった原因でした。例えば練習中でも、10球投げたらその全てでベストボールを投げたい、投げなきゃいけないと思い込んでしまったんです。今思うと、そんなことができる選手はプロの超一流レベルでもいません。ただ、あの頃の僕は1球でも抜けたボールを投げてしまうと「なんでそんなボールを投げるんだ」と自分を責めてしまっていました。もっと良いボール、もっと速いボールを投げないとダメで、たった1球のキャッチボールでプロに行けるか行けないかが決まってしまう……そう自分に言い聞かせていた部分があったんです。 ――周囲に相談はしましたか? ティモンディ高岸: その時は、僕自身だけでなくチーム内にも「イップスだ」と口にすること自体が良くないという雰囲気があったんです。自分がイップスだと認めてしまったら、さらに悪化してしまう……そう思い込んでいたので、誰がどう見てもおかしいのにそれを見て見ぬふりじゃないですけど、自分でも気づかないふりをしながら練習を続けていました。ただ、投げられないのは現実としてあるので、チームメイトに対して劣等感を持つようになってしまったり、「早く治さないと」という焦りが生まれて、どんどん悪い方向に流れてしまったんです。 ――今ならイップスに対して違うアプローチもあった? ティモンディ高岸: 相談すればよかったと思いますね。「イップスなんだ」って。今は色々な人がいることも知りましたし、イップスなりの対策や練習法もあるわけで、やっぱりそこで強がるんじゃなくて、仲間たちに助けを求めてもよかったんじゃないかと思います。 当時は「150キロ、160キロのボールを必ず投げるんだ」「ドラフト1位じゃないとダメだ」とか……なんであんなに自分に課しすぎてしまったのかなと思います。だから、自己肯定感はなかったですね。野球なんだから、もっと楽しくやればいいじゃないかと、今なら思えるんですけどね。